「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。・・・」
私の散歩は、山路を登るように踏みしめて思索する時間ではない。ただただ、自分との、とりとめのない対話の時間だ。
『草枕』の主人公のように角が立つほどの智はないし、流されるほど情にあふれていない。でも、「意地を通せば窮屈だ」というつぶやきに、私も共感する。そして、私の場合、歩きはじめると、「窮屈」なことがどうでもよくなる。だから、散歩に出るのだ。
独りで閉じ続ければ、どこにもよるべなく・・・といって、人に近づけば、じきに窮屈になる。だから、脳味噌は散歩に出る。呼吸をするため。意識が空や空気にとけてゆくまで。
やわらかな花びら
かたいつぼみ
ついばむことに忙しいキジバト