enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.1.27

 「山路を登りながら、かう考へた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。 意地を通せば窮屈だ。・・・」 
 『草枕』の書き出しは、よく言い表せないけれど、脳味噌が脳味噌の自由な世界にさまよい込むような予感がある。小説空間というより、漱石の脳内散歩に歩調をあわせるように、読者も山路を登りはじめるのだ。
 私の散歩は、山路を登るように踏みしめて思索する時間ではない。ただただ、自分との、とりとめのない対話の時間だ。
 『草枕』の主人公のように角が立つほどの智はないし、流されるほど情にあふれていない。でも、「意地を通せば窮屈だ」というつぶやきに、私も共感する。そして、私の場合、歩きはじめると、「窮屈」なことがどうでもよくなる。だから、散歩に出るのだ。
 独りで閉じ続ければ、どこにもよるべなく・・・といって、人に近づけば、じきに窮屈になる。だから、脳味噌は散歩に出る。呼吸をするため。意識が空や空気にとけてゆくまで。
 
やわらかな花びらイメージ 1
  
        かたいつぼみ 
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ついばむことに忙しいキジバト
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