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私の第三十四夜をつづります。

仏教考古学、そして下寺尾官衙遺跡群

13日は横浜で、かながわの遺跡展・巡回展「発掘された御仏と仏具」を見学したあと、「仏教考古学における仏像と仏法具」(坂詰秀一氏による特別講演)を聴くことができた。14日は「茅ヶ崎市遺跡調査発表会」で「下寺尾官衙遺跡群の保存と活用」(大村浩司氏による特別報告)も聴いた。
13日の展示は、古墳時代末期~戦国時代までの多種多様な遺物が、仏教という一筋の流れをなぞるように、また時代の文化の形を競うように並べられていた。400点を超える出品数から発するエネルギー、その多様性と個性に目を見張った。
現代の私たちの暮らしのなかに、信仰と係る“モノ”はどれほどもないだろう。また、寺社で目にする“モノ”も、おそらく画一的な形に落ち着いたものだろう。後世の人が21世紀の人々の信仰の形を展示しようとしても、このような躍動感に満ちた空間は構成されないだろうと思った。現代においては遠のいてしまった人々の信仰のエネルギー、その信仰の形の多様さを強く感じた展示だった。
また、坂詰氏による貴重なテーマの特別講演では二つのことが印象に残った。
一つは、“モノ”を対象とする考古学で、埋蔵文化財と並んで、地上の伝世資料、すなわち仏像・仏画なども対象となるということ。もう一点は、東国で出土の多い瓦塔の背景に、天台宗の在家信者(優婆塞・優婆夷)による布教活動があるのでは?という視点。今まで曖昧に感じていたこと、知りたいと思っていたことに、光があたったようで嬉しかった。
 そして、14日の「下寺尾官衙遺跡群の保存と活用」の特別報告は、平塚市民の私にさえ感慨深いものだった。貴重な遺跡の保存・活用の道が開かれたことに安心した。下寺尾官衙遺跡群のこれからを楽しみにしたい。
(13日に見た下寺尾官衙遺跡群の遺物は、まさに仏教考古学の対象として有数のもののように感じた。確か、過去の現地説明会で「火舎?の破片か」と推定されていた遺物と似た資料…同じもの?…が、今回の展示で「陶製相輪か?」とされていた。遺跡や遺物の評価が今も動きつつあることを感じた。)