私の生活圏は狭い。それでも、義理やらしがらみやらをポンと捨象して(つまみ出して捨てて)、暮れも正月も無く過ごせるわけではない。信仰を持たないためだろうか、世間との絆を手放す意気地がない。年末年始という季節、毎度同じことを繰り返して倦んでいる自分がいる。
じきに2016年がスタートしても、私には“一億総活躍踊り”は踊れそうもない。国会議事堂前のデモに参加するくらいはできそうだけれど、これでは「隠遁」ではなく「遊行」のイメージに向かいそうだ。「遊民」から「遊行へ」…「遊」のイメージに憧れつつ、しばし倦む心を捨象して(つまみ出せるものなら…)、新しい年を迎えることにしよう。
2015年12月30日の海と大島
浜辺の上空を、近距離を保って並び飛ぶ訓練機?…腹部が物々しい。
お節の錦玉子のような航空機…初めて目にする配色。厚木基地に向かう輸送機だろうか。