enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.12.27

 25日を過ぎると、大人にとって、年末までの残りの日々はいよいよ駆け足になる。
 子どもの頃は、ただただ、親戚の家でのお餅つきが楽しみだった。
 年末の27~28日頃だったろうか。大家族の親戚の家では朝から大勢の人が集まる。竈の上で湯気の上がるセイロ。持ち寄ったモチ米が次々と蒸されてゆくのだった。土間では、兄や兄の従兄弟たちが代わるがわる杵を振り上げて、モチをつきはじめる。そのようすは晴れがましく頼もしかった。
 返し手は親戚の家の女性たちだ。手水をつけては、つき手と息を合わせて声をかけ合い、つやつやの真っ白なお餅を返してゆく。そのきびきびと活躍する大人の女性の姿に憧れた。
 子どもたちは、つきあがったお餅を小さく丸めてもらい、おろし大根と醤油につけたり、きな粉をまぶしたり、やわらかくのびるお餅を次々とほおばった。あんなに美味しかったお餅。55年ほど前の味覚は遥か遠い。
 冷え込んだ夕方、そんな子ども時代を思い出す道を通った。
 海に近い実家の近くまで歩きながら、何度も驚く。見慣れない新しい建物を眼にするたびに、昔の町が消えてゆくことを思い知る。町の大きな屋敷地の跡のほとんどに、今、マンションがそびえる。鬱蒼としていた同級生の実家も、スタイリッシュな集合住宅になっていた。
 通ってはいけない細くて暗い〝お化け道″がある時、車も通れるほどの道になった。その頃から、町の記憶を押し流すような波が止まることはなかったのだ。どこもみな明るく整えられ、暗がりも混沌も消えてゆく。昔の町の姿は人々の記憶のなかに埋もれてゆく。
 子どもの頃に雪が降るとクリスマスカードの森のようになった松林があった。その前にさしかかった。県有地になって生き残った貴重な松林だ。写真を撮ろうと携帯をかざしていた時、自転車で通りかかった年配の女性に声をかけられた。母が生きていた頃にも、よく声をかけてもらった人だった。
 夕暮れの光のなかで、十数年前の時間に舞い戻ったような気がした。しかし、ご近所の消息を聞けば、私は浦島太郎と同じなのだった。母よりも世代の若かった方々が、次々とすでに亡くなっていたことを知る。
 「さびしくなってしまって…」 その方の言葉の通り、過ぎ去った月日はそういう時間なのだった。

今も残る松林…砂丘の名残りが感じられる松林だ。
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