【12日夕方~13日】
地下鉄の石田駅を出る。もうじきに日が沈む。頬にポツリと雨のような感触も。石田の景観…予想していた通り、わずかな時間のなかで、古代空間を感じるきっかけなど見つかりはしなかった。神社境内のなかですらも。じきに日は落ちようとして、霧雨模様の東の山の端に斜めの光線が射す。しかし虹は出なかった。JR奈良駅に着いて外に出る。三日月が浮かぶ夜空の下、駅舎にかかる”虹”がなつかしかった。
ロータリーから
明けて、二日目。午後の講座までの時間は自由だ。どう歩いてもかまわない。何を見ても何を見なくても自由だ。曇っては晴れ上がる、めまぐるしい空。うらうらとした光を浴びる古寺。あぁ、私は旅しているのだ、と思う。
今回の旅の目的…楽しみにしていた展示も十分に見おさめた。あとは講座を残すのみだ。開場まで講座を聴く人々の列に連なる。外は傘が必要な雨になっていた。
新館の玄関に掲げられた「奈良国立博物館」の文字が目に入る。繊細で几帳面な文字を眺めていて、ようやく思い出した。それが、聖武天皇の筆になる字を元にしているのだったと。そして、光明皇后の筆になる「藤三娘」のおおらかで、のびのびとした姿も思い出す。その誇り高さは、何に由来していたのだろう…。とりとめなく思いを巡らしていると、ようやく開場となった。伊豆山神社の神像群についての講座を、この奈良で聴くことになるとは…。勇んで、会場に入った。
講座の時間はあっという間に過ぎた。アンケートにトンチンカンなことを記した。さらに講師の方にも蒙昧な質問もした。年を取ったからだろうか、勘違いを繰り返す自分、無知な自分をそのまま受け入れるようになった。そんな自分が恥ずかしいとしても、それが自分なのだ。
奈良に来ることで、頭の中の『はてな?』が解決したわけではなかったけれど、謎は謎のままで満たされた気持ちになっていた。すべてに感謝して京都駅に向かった。
飛火野の”花”
不動堂のジョウビタキ
観音山から
二月堂から
”小さな春”を覗く(二月堂から大仏殿に向かう道で)
苔むす…彩色が剥落した?…窓枠(奈良博へ向かう路地で)