最近出逢ったばかりの歌人相模と大江公資。彼らは私にとって歴史上の人物名にとどまらない、身近な人々になってきたように思う。これまで、古い和歌のなかの情景に心惹かれることはあっても、その歌を詠んだ人の心にまで入り込むことはなかった。今は、走湯百首を書き留めた歌人相模の心模様も、私なりに想像できるような気がする。
女のがりつかはしける 大江公資朝臣
しの薄(すすき) 上葉にすがく蜘蛛(ささがに)の いかさまにせば人なびきなん
野分のしたりけるに いかゞなどおとづれたりける人の
その後また音もせざりければつかはしける 相模
荒かりし 風ののちより絶えするは 蜘蛛手にすがく糸にやあるらん
相模守にてのぼり侍りけるに
老曾の森のもとにてほとゝぎすを聞きてよめる 大江公資朝臣
東路の おもひでにせんほとゝぎす 老曾の森の夜半の一ゑ (『後拾遺和歌集』巻三 夏)
(『相模集』 の中に…走湯百首歌群には含まれず、詠まれた時期・背景は今の私には不明なのだが…
「ほとゝきすのこゑをまさしくきゝて」 の詞書の次に、
「きかてたゝ ねなましものをほとゝきす 中/\なりや よはのひとこゑ」 がある。
歌人相模がその後、大江公資と別れた頃の歌からは、東路への懐かしさ、去っていく人への思いが伝わってくる。一千年前に生きた彼女の心のうちの葛藤は、今に生きる私にも生々しい。
大江公資相模の守に侍りける時、もろともにかの国に下りて
遠江守にて侍りける頃 忘られにければ
こと女をゐて下ると聞きてつかはしける 相模
逢坂の 関に心はかよはねど 見し東路はなをぞ恋しき (『後拾遺和歌集』巻十六 雑ニ)
そして更に、同じ背景のもとに詠まれた相模の歌。
大江公資に忘られてよめる 相模 夕暮は またれしものを いまはたゞ 行くらむかたを思ひこそやれ (『詞花和歌集』巻第八)
(なお、この歌は『相模集』の中では
かれ/\になりゆく人のもとに
ゆふくれにさしをかする
ゆふくれは またれしものを いまはたゝ ゆくらむかたを 思こそやれ
とある。)
これらの歌を眺めてみて思う。歌人相模の走湯百首に対する返歌は、やはり夫・大江公資からのものなのでは、と。そして、11世紀初めの相模国司夫妻として出逢った彼らが、今も確かに生きているように感じられて励まされる。