季節の記憶は光の強さや角度と係わっている気がする。
八月という季節の奥にあるのは、意識が遠ざかるような真昼間の光の記憶だ。
道を歩きながら、一瞬すべての音が消え、白い光に溢れた世界に閉じ込められる。
どこかですでに経験したような・・・時が止まり生と死とが混じりあっている世界。
燃えつきるような過剰な生命と隣り合わせの、しんとした死の予感。
今は陽が傾く頃に歩きはじめる。白い光の記憶も甦らない。
代わりに西陽がつくりだす陰翳が美しい。60代の感性に見合う八月の光の記憶なのか。
昨日の雨上がり、海には向かわず、えさやりを頼まれたメダカのようすを見に出かけた。
ほてい草の隙間からえさをふりまく。どの水槽もメダカの姿は見えなかった。
家に帰ると西の空には夕焼け雲が広がっていた。海からも夕焼けがきれいに見えたことだろう。