8月の紺碧の空と強い陽射しには、子供の頃から、どこか死の影が隠れているように感じていた。
それは無意識に刷り込まれた記憶の影なのだろうか。
戦争を経験しなかった私は、語られるもののなかに、その影を感じ取ることしかできない。
『父と暮せば』という映画も、そうした”語られるもの”の一つであり、何度観ても、そのたびに新しい。
父と娘の言葉がキラキラと心に残るのは、二人芝居の魅力がそのまま映像化されているからなのだろう。
この映画の中で、平塚の横浜ゴムの敷地内にあった洋館の一部が、図書館の建物として使われたと聞く。
私の両親、祖父母の世代が、こうした大きくうねる時代の波を越えて生き延びてきた。その上に、私の今の時間があるのだろう。8月はそういう季節なのだ。
八幡山の洋館(2009.4.4当時)