enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.10.21

 まだみんな20歳前後だった。1971年の夏だったろうか、高校時代のサークル仲間と軽井沢に出かけたことがあった。夕食後、みんな車座になってゲームをした。質問者からさまざま出される問いかけに対し、それぞれが、「私だったら…」という答えを無記名で紙に書く。その紙を集め、一枚ずつ読み上げ、それが誰が書いた答えなのか、みんなで当て合う…そんなゲームだったと思う。今から思えば、そのサークルらしいゲームだった。そんな遊びはそれが初めてだったし、最後だったのだから。
 そのゲームの質問のなかで一つだけ覚えているもの…「人生最後の日、貴方は何をしますか?」…そんな内容だった。私は「本屋さんで、何か読みたい本を探して過ごす」といったような答えを書いた。残念なことに、仲間たちの答えがどのようなものだったか、覚えていない。私らしいと言えば私らしい。
 その質問についての答えが順番に読み上げられる。その答えごとに、一種の興奮が渦巻いたように記憶している。『人生最後の日に、そんなことをするのは誰だろう?』…それぞれの人が、答えた人の名を、推理しながら挙げてゆく。
 このゲームが面白かったのは、答えた人の名を挙げた人が、その名の人物をどのような人ととらえているか、図らずも、あるいは意図的に表明することになったからだと思う。また、答えの意外性から、その人物の知らない一面性がうかがえることもあるだろうし、答えそのものが自己韜晦からひねり出された場合もあるだろう。答える人、当てる人の心理的な駆け引きも生まれるのだ。その夜の、青臭く、純粋な、そしてスリリングでもあった空気感だけは忘れられない。
 そんな若い頃のサークルのことをなぜ思い出したのだったか。
 60代となった今の私にも、調査活動や作業に参加しているサークルがある。その調査の補足のために、昨日、一人で市街に出かけた。やり残した調査を終えると、偶然、「八幡山の洋館」の前に出ていた。館は秋の薔薇に彩られていた。薔薇の花の香りは久しぶりだった。
 帰り道、細かな雨が落ちはじめ、肌寒くなった。
 歩きながらぼんやり考える。『人生最後の日、貴方は何をしますか?』
 今の私の答えは…本屋さんで過ごすことは無い。それだけは確かだ。
 
秋の薔薇①
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秋の薔薇②(花のうつろい)
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八幡山の洋館
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