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私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言17 『枕草子』の雪景色ではなく・・・

 
277 あづまやの 軒のたるひを 見わたせば ただ白銀を 葺けるなりけり    
                                         <走湯権現奉納百首 はての冬>
 
先日、相模のこの歌が、かの『枕草子』の「十二月二十四日」で始まる段に見られる雪景色の表現と酷似するとの指摘のある論考(「『枕草子』の新しさ-後拾遺時代和歌との接点-」西山秀人)を読んだ。
 私は、高校の古文の教科書で『枕草子』のごく一部を読んだ経験しかない。もちろん、その段を読んだことはなかった。今回、『枕草子』三巻本、『枕草子』能因本のテキストのその段を初めて読み、改めて『枕草子』の作者のビビッドな感性、表現力の普遍性に感嘆した。
それにしても、相模がほぼリアルタイムで『枕草子』を読んでいた可能性がある?ことしかも、その段の表現を自分の歌に摂取するほど、深く読みこんでいたかもしれない可能性がある?ことは大きな驚きだ。もし、そのようなことがあり得たのであれば、〝相模の歌作りのありようの印象も大きく変わるだろう。
枕草子』の当初の姿がどういう形であったのかは分からない。しかし、相模が当時の『枕草子』を読みこんでいた可能性までも想定しつつ、研究が積み重ねられていることそれこそが私には刺激的なものに感じられた。
「あづまやの」は素直な実景描写ではなかったのかもしれない。いわば〝エクササイズとしての歌作りだったのかもしれない。相模という歌人は、漢詩文の素養にとどまらず、同時代の先端的な作品までも深く読みこみながら、歌作りの感性と技術を磨いていたのだろうか。そのような可能性に目を開かせてくれた論考だった。
そして、そうした視点を知ったうえで、もう一度、相模の歌った雪景色を思い浮かべる。それは、つい先日の平塚の雪景色と重なる。それは、『枕草子』の都の雪景色と重なるわけもない。似かよった表現を用いているにもかかわらず、どこまでもきらびやかな都の冬の情景を演出する雪景色とは重ならないのだ。相模が歌にとどめた雪景色とは、東国で暮らした人が眼にした、水墨画のように静かな雪景色だったそう思う。