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私の第三十四夜をつづります。

左京(6)大江公仲邸跡

 京都の旅の最後の日。京都駅に向かう途中で立ち寄るのはあと2か所になった。
 二条駅南で千本通を左京域に渡り、南東方向に斜行する後院通に入ろうと思った。
 しかし、ここでも、地図を見ながら斜めに入ったつもりが、気がつくと三条通を東に向かっていた。やれやれ。私の脳は確実に不具合化(?)している。再び、後院通に入り直す。

 ここで平安京の「大江公仲邸跡」3件のうち、残る2件の概要について、再度『京都市の地名』から引用(「坊城地壱町」の詳細内容は割愛)させていただき、覚書としたい。

「 散位従四位大江公仲が嘉保二年(1095)に残した財産処分状(大江仲子解文) 【中略】  
  処分目録  
一 坊城地壱町  在左京四条一坊二町  【中略:詳細割愛】
一 美福地壱町  在左京七条一坊八町  建三間四面屋一宇  【中略】 
 このうち、本宅地と考えられる坊城地一町は「左京四条一坊二町」にあり、これは六角小路南・四条坊門小路北・坊城小路西・朱雀大路東の地にあたり、現壬生朱雀町の東南地域に比定できる。
 この坊城地は「故土佐前司 忠季入道」と相博伝領したもので、八戸主ずつ四区画に分かれていた。寝屋・廊・雑舎などをもつ丑寅角が生活者宅であったと考えられ、辰巳角には車宿と書倉、未申角は堂敷地、戌亥角は倉代が配置され、中級貴族の生活の一面を知ることができる。  【後略】」(『京都市の地名』から抜粋して引用)
 
 この処分状には、1町4分割の形、建造物の軒数・全体配置・規模・機能、庇や屋根葺など、驚くほど具体的な情報が含まれている。これらの情報が、発掘調査によって遺構・遺物と実際に対応することが明らかにされる日は来るのだろうか。知りたい、でも遺構を破壊してほしくない…常に堂々巡りだ。

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坊城地の大江公仲邸跡付近(北から撮影)
手前の道が南東に斜行する後院通。奥(南)へと入る道が坊城通。大江公仲邸跡は、右手(西)の工事現場と重なるようにも思える。工事に伴う調査など、行われたかどうかが気になる。ここでも、寝屋・廊・雑舎・車宿・書倉・堂・倉代などが建ちならぶ景観を想像するのは難しかった。

 とうとう、最後の大江公仲邸跡3件目をめざすだけになった。坊城通から1本東の壬生川通を南に下ることにした(あとで気がついたが、壬生川通ではなく、そのまま坊城通を下ればよかったのだ。より広い通りなら間違えないだろうと、日和ったのに違いない)。
 「美福地壱町  在左京七条一坊八町  建三間四面屋一宇」の比定地は、静かな住宅地だった。「三間四面屋一宇」(東西3間・南北2間の四面庇建物が一棟)…右京の公仲邸と同じ建物規模だ。坊城地のような寝屋・廊・雑舎などを備えた生活空間とは別のあり方のようだ。
 坊城地にも「六間四面屋一宇」という大きな四面庇建物があるようだが、どのような住まいだったのだろう。もし、相模国府域内で、東西3間・南北2間の四面庇建物が検出されたなら、“屋”ではなく、“お堂か、”とされるような気がする。また東西6間・南北2間の四面庇建物であれば、“国庁正殿”か、とされるかもしれない。四面庇は、平塚市内ではそれほど特殊なあり方だ。

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美福地の大江公仲邸跡付近(北から撮影)
中央の坊城通の西側は公的な施設だった。建設時に調査が行われたのか、また気になった。

 さぁ、これですべての予定を消化してしまった。
 どっと緊張が緩んだせいか、肩の荷物も足も急に重くなった。左手の甲もむくんだままだ。でも心は軽かった。予定を果たし終わった…満足感があった。久しぶりの旅で、不安もあったから。
(家に居れば3日間など、何もせずにあっという間に過去に吸い込まれ、埋もれてしまう。それに比べ、この3日間は何と長く、色とりどりだったことだろう。)
 七条通につきあたれば、京都駅はもうすぐ。堀川通の角の古書店の店先に古い文庫本が並んでいた。電車で読むには薄いものを…と『徒然草』を選んだ。よれよれの姿で、店の奥に入ってゆく。年配の女性が出てきた。兼好法師にも校訂者の方にも(お店にも?)申し訳ないが、100円を支払って『徒然草』を受け取る。「おおきに」という言葉。やはりここは京都だった。
 途中、七条通の北の空に大きなトラス構造の骨組みが見えてきた。地図を見る。東本願寺…改修工事をしているようだった。
(帰宅後、政府与党が現国会に提出している安全保障関連法案に対し、この東本願寺が反対声明を出していることを知った。そのようなお寺だったのだ。心強い気持ちになった。次に京都を訪れる機会があったら、東本願寺も訪ねてみようと思う。その時、この国はどうなっているのだろうか。) 

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改修工事中の東本願寺

 帰りの新幹線のなかで、拾い読みした『徒然草』。
 第十三段の兼好法師の言葉が印象に残った。
「ひとり燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなうなぐさむわざなる。・・・」

 平塚に帰ったら、また図書館に通おうと思った。