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私の第三十四夜をつづります。

伊豆山神社へ(2012.4.12)

【熱海へ】 
 歌人相模の道を辿るために、まず伊豆山神社を訪ねてみた。2012年4月の伊豆山神社は春爛漫の山、空、海に囲まれていた。遠く一千年前、万寿元年頃の冬正月の走湯権現・・・その姿を偲ぶ由もない。ただ、この境内の凍てつく土の下に、歌人相模が百首の歌をうずめたのだとすれば、”かゝるついてに ゆかしき所みむとて”と記されたような、軽い思いで参詣したわけではないだろうと感じた。
 
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春の光にまばゆいばかりの伊豆山神社
 
「思事 ひらくるかたをたのむには いつのみやまの はなをこそみめ」
「御山への たかきあさひにあたりなは のとけくのみそ くもらさるへき」
                                                   〔相模の歌 ”さいはひ”の部〕
 
 
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伊豆山崖下の走り湯神社と熱海ビーチライン
 
「御山まて かけくるなみの みちひかは よにあるかいも ひろはさらめや」
「みやまなる とみくさのはな つみにとて ゆるきのそてを ふりいてゝそこし」
                                                   〔相模の歌 ”さいはひ”の部〕
                          
 
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「宮まちの をとにきゝつるさかゆけは   ねかひみちぬる心ちこそすれ」
          〔相模の歌 ”雑”の部〕
 
 ”雑”の部の歌であり、走湯権現への「ねかひ」と解して良いのかどうか。
 もし、「宮まち」を”みやまち=御山路、御山道”と解することが許されるなら、相模は、この階段に近いような坂道・・・一千年前、現在の階段の内側に残る石積み階段さえも無く・・・同じように急な勾配の山道を行ったのではないかと思う。
 仮に箱根ルートをとった場合、最終の走湯権現までは坂道を下ることになり、帰路も再び箱根越えとなる。
 一方、もし海岸ルートがあったならば、浜側から伊豆山神社に至る階段の長さ(時間)と勾配は、まさに願いが満ちるように思える、程良いものだったろう。
 やはり、波のように下から(かけ)のぼって参詣してこそ、願いは成就するものなのではないだろうか。