【熱海へ】
歌人相模の道を辿るために、まず伊豆山神社を訪ねてみた。2012年4月の伊豆山神社は春爛漫の山、空、海に囲まれていた。遠く一千年前、万寿元年頃の冬正月の走湯権現・・・その姿を偲ぶ由もない。ただ、この境内の凍てつく土の下に、歌人相模が百首の歌をうずめたのだとすれば、”かゝるついてに ゆかしき所みむとて”と記されたような、軽い思いで参詣したわけではないだろうと感じた。
春の光にまばゆいばかりの伊豆山神社
「思事 ひらくるかたをたのむには いつのみやまの はなをこそみめ」
「御山への たかきあさひにあたりなは のとけくのみそ くもらさるへき」
〔相模の歌 ”さいはひ”の部〕
伊豆山崖下の走り湯神社と熱海ビーチライン
「御山まて かけくるなみの みちひかは よにあるかいも ひろはさらめや」
「みやまなる とみくさのはな つみにとて ゆるきのそてを ふりいてゝそこし」
〔相模の歌 ”さいはひ”の部〕
「宮まちの をとにきゝつるさかゆけは ねかひみちぬる心ちこそすれ」
〔相模の歌 ”雑”の部〕
”雑”の部の歌であり、走湯権現への「ねかひ」と解して良いのかどうか。
もし、「宮まち」を”みやまち=御山路、御山道”と解することが許されるなら、相模は、この階段に近いような坂道・・・一千年前、現在の階段の内側に残る石積み階段さえも無く・・・同じように急な勾配の山道を行ったのではないかと思う。
仮に箱根ルートをとった場合、最終の走湯権現までは坂道を下ることになり、帰路も再び箱根越えとなる。
一方、もし海岸ルートがあったならば、浜側から伊豆山神社に至る階段の長さ(時間)と勾配は、まさに願いが満ちるように思える、程良いものだったろう。
やはり、波のように下から(かけ)のぼって参詣してこそ、願いは成就するものなのではないだろうか。