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私の第三十四夜をつづります。

修復が進むバンテアイ・チュマール(2)

 今回、遺跡を巡る旅の写真をふり返るなかで、不思議に思うことがあった。
 どこか懐かしく思い出される写真が、(ヒンドゥー教寺院であるバンテアイ・スレイを除いて)そのほとんどがジャヤヴァルマン7世という王によって建立されたり、改築された仏教寺院であることを、改めて知ることになったから。
 思えば、私にとってカンボジアの遺跡は、すべて”エキゾチック”の塊りだった。
 重量感のある建築、その空間を満たす馴染みの薄い”荘厳”に圧倒され続けた。
 一方で、そんな造形物のなかに、作り手の”祈りの時間”が留められたような静けさ、日本で経験したことがあるような懐かしさを感じることがあった。
 そして、その静けさを感じた遺跡が、バンテアイ・スレイであり、タ・プロムであり、バンテアイ・クデイであり、バンテアイ・チュマールだった。
 カンボジアの過去の”祈りの時間”が、現代の時空間に再び立ち上がり、私のような物見遊山の旅人をも、どこか懐かしく感じさせる。
 こうして、カンボジアの遺跡群を訪ね歩き、魅せられる人々が絶えないのは、これまで破壊され埋没していた遺跡の数々が、地道に修復・整備され続けているからこそ…そう思う。
 そして、再生された遺跡の時空間は、きっと、修復の努力に報いるような糧、それを超えるような糧、人々の糧になってゆくのだろうと思う。
 
壁面のレリーフ①:
女性像でありながら、高く広げた腕には鰭のように翼(?)が生え、足の爪先は獣のように描かれる。
足を踏ん張るかに見えて、爪先は同じ方向(向かって左側)を向くので、天を支えているわけでもないようだ。半鳥半女の神なのか、鳥の衣裳で踊る(?)女性なのか。ガイドのマノンさんに聞きそびれたことばかり…。
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破風のレリーフ①:
危うい形で支えられる破風のレリーフには、多面仏(?)。両腕の背後には翼(細い9本の腕?)のようなものが広がっている。
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破風のレリーフ②:
中央の像は繊細な彫りで、その瞑想する(?)姿は多面仏のように思えた。向かって左に竪琴を奏でる人、右に水鳥などが描かれる。
参考にした解説では、水鳥は”ハンサ(ガチョウ)”、中央の像は(多面仏ではなく)”ブラフマー神”とされている。
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破風のレリーフ③:
参考にした解説では、矢を射る若人はラーマ王子、倒される異形の者はラーヴァナ(悪魔)とされている。
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「象のテラス」のガジャシンハのように居並ぶ異形の者たち:
これらの像は、確かに天を支えているように力強い。
その歯を剥き出す表情は、「象のテラス」のものより迫力があるもの、ユーモラスなものなど、変化に富む。
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祠堂内へと誘うような四面塔
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破風のレリーフ④:
三体が山形に配置されている。前掲の”破風のレリーフ②”の像と比べ、上半身と下半身のバランスが取れていないような造形。
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整備された”写真撮影スポッ”ト:
足場の悪いところが多いなかで、安全に綺麗に整備された場所。遺跡の壁面を羽交い絞めするように食い込み、今となっては守り固めるような形となった樹木(ガジュマル、榕樹)。
日本の熊手に似たホウキにも、修復途上の営みを担う”人の手”を感じる。
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【番外】タ・プロムで:
ジャヤヴァルマン7世が1186年に建立した仏教寺院(母を弔うため)のなかで、ふと日本建築のイメージを感じた場所。
東南アジアを旅すると、何か分からないけれど懐かしいものが湧き上がる。『この風土…光線だったり、空気だったり…を記憶している…』 そんなふうに感じることがある。
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