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私の第三十四夜をつづります。

バンテアイ・チュマールの”千手観音像(レリーフ)”③

 カンボジアの短い旅を通して、人々の信仰する心…供え物を捧げたり祈ったりする所作という、眼に見える形だけではないもの…が、日々の暮らしに密接した”濃い在り方”として生きているのではないかと思うようになった。
 その信仰対象は、私たちと同じように、”ご先祖”であったり、”仏”であったり、”神”であったりするのだろう。
 (信仰対象というより、尊敬の対象としてだろうか、ホテルやレストランの壁に掲げられている前国王夫妻と現国王の写真も多く目にした。一般の家庭内ではどうなのだろうか?)
 
 そして、カンボジアの人々は、その信仰対象を日常的に眼に見える形(偶像)に置き換える時、屋外であればラフな作りのものを、またホテルやレストランであればより精巧な作りのものを祭壇に据えていた。
 私は、その在り方に、偶像を偶像視することのない、つまり”眼に見える形”にはとらわれない、”信仰の濃さ”を想像した(つまり、”信仰心が薄く形にとらわれる私”とは違うのではないか?…そう感じた)。
 例えば、私が仏像などを目の前にする時、信仰・祈りの対象として振舞うよりもまず、”歴史的な美術品”として見つめてしまう欲望のほうが強い(見てやろうとする気持ちが”はやってしまう”のは、信仰ではなく、”欲望”のあらわれなのだと自覚している)。
 そして、私にとって美しい造形(例えば「百済観音像」のような造形)であればあるほど心酔し、自分の心を委ねる対象として利己的な崇拝心を抱く。
 
 もちろん、カンボジアの博物館ではクメール美術としての信仰対象の偶像が数多く陳列されているのだし、人々のなかには、歴史的な美術品として見る視点を持つ人もいるはずだ。
 ただ、それはおそらく、カンボジアの風土や歴史のなかで培われてきた、信仰や崇敬を土台とする視点であって、私の利己的な視点とは違うはず、と想像する。
 旅の写真を眺めていると、モヤモヤと感じていた思いがグダグダと湧いてくるようだ。モヤモヤとグダグダの思い…撮った写真にはそれが写っていないのがもどかしい。

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”千手観音像”のレリーフ(3):
左右8本ずつ、計16本の腕を持つ。
頭部は上・中・下の3段となるように見えるけれど、上段(頭頂部)は失われているため、中・下段と同様の”顔”であったのか、”化仏”のようなものであったのか、”冠”であったのかは分からない。
中・下段の”顔”の正面の左右には、それぞれ横顔が一面ずつ描かれている(中・下段のみで6面以上となる)。

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”千手観音像”のレリーフ(3):額の”第三の眼”や、体から生え出る(?)仏様
顔のレリーフの残りが良いので、額の”第三の眼”もくっきりと残っている…それも上下二つの顔に。
さらに、肩や中段の顔の横から、小さな仏様が生え出るように配置されている。
また、顔の目立つ表現として、両眉がつながっている。
他の寺院でも、眉がつながる表現の女性像はとても多いけれど、その表情は実にさまざまだ。同じように”眉がつながる表現”の女性像の写真を、次の寺院から選んで比べてみた。
 
 *スールヤ・ヴァルマン2世によるヒンドゥー教寺院のアンコール・ワット(1113~1150年頃)
 *バンテアイ・チュマールと同じく、ジャヤヴァルマン7世による仏教寺院のバイヨン寺院(12c末~13c初)、ライ王のテラス(12c末)、そして仏教寺院に改築されたバンテアイ・クデイ(12c末~13c初)


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     眉がつながる表現の女性像①((2006年12月19日撮影 アンコール・ワット):
     初めてカンボジアを旅した2006年時の写真の中から、ピンボケではあるけれど、
     額に”第三の眼”(お化粧?)を持ち、眉がつながる女性像を見つけた。

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     眉がつながる表現の女性像②(2019年2月13日撮影 アンコール・ワット

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眉がつながる表現の女性像③((2006年12月19日撮影 ライ王のテラス):
①と同様に、眉と鼻がT字状でありながら、頬がみずみずしく張った表現は独特のものに見える(どこか、ジャヴァルマン7世に似ているような?)。

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     眉がつながる表現の女性像④(2006年12月21日撮影 バイヨン寺院)

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     眉がつながる表現の女性像⑤(2006年12月21日撮影 バンテアイ・クデイ)

 ”眉”にこだわり、つい寄り道をした(少なくとも、表現様式の変遷とは関係がないような印象?)。
 バンテアイ・チュマールの”千手観音像”(3)の続きに戻る。

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”千手観音像”のレリーフ(3):
(2)と同じく、最前面の右腕の掌上には小さな多臂(たひ)の仏様を載せる。
全ての手に持物(金剛杵?など)が握られているのは、単純に、腕の数が(1)・(2)より少なく、描き込むスペースがあるから、という物理的な理由なのだろうか?

 この3体の”千手観音像”から、私たちは当時の人々の(あるいはジャヤヴァルマン7世の)どのような信仰を読み取ればよいのか、今はまったく分からない。
 ただ、その多面多臂の姿は、人間の形を超えて、人間には及ばない数多の能力…まさに八面六臂?の働き…を象徴しているのだろうと想像する。
 
 さて、日本で拝する千手観音像や十一面観音像、興福寺の阿修羅像など、そのほとんどの制作年代はバンテアイ・チュマールの”千手観音像”より遥かに先行し、国宝だったり重要文化財であったりする。そして、私は日本の仏像に対し、いつも貴重な文化財として身構えて拝してきたように思う。

 しかし、今回、私はこれらの3体を、何も身構えることもなく、『確かに”千手観音”だ…』などと素直な気持ちで見た。それは、バンテアイ・チュマールの”千手観音像”が、美術品ではない在り方で、私の前に顕れたからかもしれない。