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私の第三十四夜をつづります。

10年後 … ?

 

21日 … 夏至の日の夕方、家族は部分日食を見に、海へと出かけていった。

一緒に行きそびれた私は、少し後悔することになった。
あとから街に出てみると、梅雨らしい薄曇りの空も外気も、それは心地よかったから。
『買い物など後回しにして、海に行けばよかった…』
しばらくすると、携帯が鳴った。

「日食、撮れたよ。ちょうど雲が途切れて…」

夜になって、各地の日食のようすを伝えるニュースが流れた。
どうも、次に日食を眼にする機会は10年後…ということらしい。

『10年後 … ?』

10年後 … 確かなことは、現在のコロナ禍が、”はるか10年前の出来事”になっていること。
その頃には、現在の中央政権も、東京や大阪といった地方政権も、はたまた、世界の首脳陣の顔ぶれも一新されていること(ロシアについてはいざ知らず)。

10年後 … 残念なことに、何よりも自分たちについては、確かなことは何も分からないのだった。  

『10年後 … ?』

私たちは、どこで、何を観て、何を聴いて、何を感じているのだろう…。

 

 

部分日食(2020年年6月21日16:54、家族が撮影した写真から)

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f:id:vgeruda:20200622150627j:plain  六月の浜辺で①(ハマユウ) 

 

f:id:vgeruda:20200622150706j:plain 六月の浜辺で②

 

 

 

 

梅雨空の花たち。

 

コロナ禍の日々は、心を少しずつ貧しくしているように感じる。
摂り込む情報が偏り、心が干からびてゆくのを感じる。

心の淀みに浮かぶ”うたかた”は、宰相の口元にとり憑く式神のような白い小さなガーゼマスクであったり、首振り扇風機のように虚ろな運動を繰り返す宰相の会見姿であったり…。

節目ごとに摂り込む滑稽で矮小なイメージが、かつ消えかつ結ぶ毎日…。

もともと偏食気味だった狭苦しい心は、呑み込んだ”うたかた”を、日々反芻する。その”うたかた”のサブリミナル効果に満ちた暗示によって、日々心が澱んでゆく。

知らず知らずのうちに、どこまでもスポイルされ続ける。いよいよ貧しく干からびてゆく。

こうして、いつも特別な季節であったはずの六月が、コロナ禍で失調した心を置き去りに、通り過ぎてゆく。

どこかで、こんな流れを切り替えなければ、と思う。

そんな6月18日。
私に、遠い南の国の濃密な空気を思い起こさせる花たち…その色を、形を、香りを、ひととき思い出す。自分の時間の流れを取り戻す。

 

f:id:vgeruda:20200619094852j:plain六月の花①

 

f:id:vgeruda:20200619094910j:plain六月の花②

 

f:id:vgeruda:20200619094929j:plain六月の花③

”熱伝導”者の汗。

 

梅雨らしい日が続き、南口の公園のバラの花色はすがれてゆくばかりになった。
コロナ禍の日々、夕方の買い物の行き帰りに人魚姫の公園に立ち寄っては、そのほのかな草いきれに満ちた小さな自然空間にずいぶんと慰められた。

今日は朝から部屋が明るかった。室温は28度を超えた。

そんな梅雨の晴れ間、山本太郎氏の都知事選立候補表明をネットで視聴する。
久しぶりに聴く彼の言葉だった。独特の身振り手振りも変わっていなかった。
その首もとを包むシャツ襟に汗がにじんでいた。彼の内部にたわめられていた熱量が行き場を求めているのだと思った。

すでに熱量がすがれた私にも、自分の熱量をストレートに伝えることができる、不思議な”熱伝導”者の汗なのだと思った。

 

夕方、暑さを覚悟して外に出る。少なくとも汗がにじみそうな暑さではなかった。

南口の公園は、青い花と小さな白い花が残るだけになっていた。バラたちの季節が去ったのだ。
で、あの山本太郎氏の季節は巡ってくるのだろうか? 
それとも、今までに経験したことのない季節を夢見るだけで終わるだろうか?

 

 

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6月15日のバラ(駅北口で)

”I can't breathe” から ”I Have a Dream” へ。

 

”I can't breathe”

ジョージ・フロイドさんが最期に発したその象徴的な言葉が、私には何ともいえない響きで迫ってくる。
息ができない…その現実的・肉体的な恐怖も迫ってきて苦しくなる。

 

『今夜も吸入しなければだめなのか…』
『今朝も吸入してしまった…』
(この麻薬に手を出してしまったような疚しさは、吸入薬による一時的な快楽を知るからこそ湧き出てくるものだ。)

 

小児喘息の時代は、台風の季節に発作が起きた。特に、夜になるとひどくなった。
子どもながら、親に訴えることもなく、一人で闇の時間をやり過ごした。
それでも、今よりはずっと明るく頑張る力を持っていたらしい。

暗い部屋に、自分の奇妙で複雑な呼吸音だけが響く。
(私は、自分の身体が発するこの音を、他人にはもちろんのこと、家族にも聞かれたくなかった。いつも、苦しいリズムの呼吸音を無理やり抑え込む努力をした。今思えば涙ぐましい努力だ。あの頃の私は、なぜ、喘息の呼吸音を隠したかったのだろう?)

苦しくて眠れない夜。
やむなく起き上がるしかない。
そして、眠りたい欲望との葛藤。
蛙のようなうつ伏せ姿で寝てみたり、椅子に腰かけて眠ろうとしたり。
子どもだった私は、自分にだけ課せられた”孤独な修行”に対して、厭世的にも、自暴自棄的にもなることなく、あれこれと試して乗り越えようとした。

やっぱりダメか…。
最後の最後には、”メジヘラーイソ”をシュッと一吹きする。
魔法の薬だった。いつだって、すぐに絶望的な拷問から解き放たれた。夢見るような心地のあと、じきに、とろけるように眠りの世界に入っていった。

そんな喘息も、大人になって影を潜めるようになった。

それが老齢期に入ると、再び、じわじわと日常に姿をあらわすようになる。今度は、季節を問わなくなっていた。そして、処方される吸入薬も、昔とは様変わりしていた。

で、この数か月、そうした息苦しくなる場面が頻繁となって、吸入薬の残量の目盛りは目に見えて減っていった。

吸入薬をセーブした日に、マスクをつけて駅の階段を昇りきったあとは、溺れ死ぬような苦しさに陥った。心臓が喉から飛び出しそうな、肺がパンクしそうな喘ぎにうろたえて、慌ててマスクをゆるめる。
アップアップとエラ呼吸をする金魚のように、しばらくの間、呼吸は大きく乱れ続ける。

吸入薬をめぐる駆け引き…薬で楽になりたい私と我慢したい私との駆け引きが続いている。

 そんな息苦しい駆け引きが続く日々のなかで、今回の”I can't breathe”という言葉と、その意味合いを知った。

また、”I Have a Dream”という、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア氏の言葉も知った。 

I Have a Dream” … 今や、私にとっては虚しい言葉だ。でも、本当は、誰もが忘れてはならない言葉であるはずだ。

そして、誰もが、あらゆる”息苦しさ”のなかにあっても、”I can't breathe” から ”I Have a Dream” へと、向日的に進んでゆくべきなのだろうと思う。

ならば、これから私は何を目指そう、どこに向かおう…生きている限り、それを考え続けなければならない…。

 

 

【6月10日午後:吸入を我慢して海に出かけた途中で…】

f:id:vgeruda:20200610151105j:plain松林に住む?トンビ:
ブツ切りにされた松のてっぺんの、一番眺めの良い場所で強い風に吹かれていた。

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(長い時間、こんな場所で何をしているのだろう?)

 

 

 

 

 

 

 

富豪が語る”憂い”

 

つい先日、ネットの経済記事のなかで、”bullshit job”という言葉を初めて知ったばかりだった。
続いて昨日、『朝日新聞』のインタビュー記事「新型コロナ 富豪が憂える資本主義」(ニック・ハノーアー:起業家・ベンチャーキャピタリスト)を読んだ。

彼は、「使えるお金に限りがないのは楽しいものです」と、自嘲的?とも受け取れるような受け答えをして語り始める。
その鋭い眼差しを持つ富豪の、机上から離れた、血の通った主張は、経済学を知らない私にも、痛快に、ストレートに伝わってきた。

そして、『富豪のなかにも、こんな風に考える人もいるのか…』と、これまでのモヤモヤした”胸のつかえ”を、ようやく的確に診断してもらったような気持ちになった。

読んだインタビュー記事に励まされた気持ちのまま、午後になって海に出かけた。

外に出ると、さほど気温が高いようには感じなかった。海に近づくほど風は涼しくなってゆく。この海風にどれほど救われてきたことだろう。
(帰宅後に読んだ安曇野の友人のメールには、「今日は気温34度。北の窓から熱風が…」とあった。こちらがまだ26度前後なのに?)

 

浜辺は、休日のような人出だった。

富士も大島も薄曇りの空に隠れ、どこか、コロナ禍の世界に通じるような色合いの海が広がっている。

カイト・サーフィンで波間を疾走する人を眺めた。強い風圧に対抗して撓むであろう、全身の筋肉の収縮を思い描いた。

しばらく、肌寒さを感じるまで海の風にさらされていると、新型コロナと新自由主義に席巻されている2020年の現実世界が、すっかり、どこかに遠のいてしまうのだった。

 

f:id:vgeruda:20200606104905j:plainカイトサーフィン①

f:id:vgeruda:20200606104956j:plain カイトサーフィン②

 

【波打ち際で】

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コロナ禍の日々に読む物語

 

コロナ禍のなかで読みたいと思ったのは、エリック・マコーマックという人の小説(物語)だった。
苦手な翻訳本だったけれど、休館前に図書館で『ミステリウム』を借り、休館中に『パラダイス・モーテル』を予約して借り足し、さらにネットで『雲』を注文した。

社会人になって小説(物語)を読む機会はめっきり減ってゆき、60代以降はまったくと言ってよいほど手が出なくなった。なのに今、続けてE.マコーマックという人の本を、しかも翻訳本を続けて読む気になったのは不思議だ。

たぶん、コロナ禍の日々の非現実的で単調な心理空間から、マコーマックの創りこまれた騙し絵のような架構世界へと旅に出ると、澱んでいた脳味噌がしばしグルグルと撹拌されて心地よかったからだ。

『雲』を読む段になってようやく、マコーマックという創り手の鮮やかな手さばきに自分ののろまな視力が少しずつ追い着くようになってきた。

そして、若い頃に倉橋由美子に夢中になった時の気分を思い出したりした。

次はまた、図書館でマコーマックの本(物語)を借りてこよう(この気持ちはどこか、新しく見つけて気に入ったお酒を、いそいそと買いにゆくのと似ている気がするのだけれど)。

 

f:id:vgeruda:20200604122340j:plain6月の黄葉(街路樹のネムノキ):じきに、夢見るような花の季節がやってくる。

「傘は要らない」

 

とうとう6月。そして朝から雨。

ネットや新聞やTVからあふれる世界と日本のできごとが、朝からの雨で降り込められ、自分の内側に向かってくる。それらのできごとから生まれた痛みが、湿度をもって、こちらへと伝わってくる。

まず、ネットで観た動画に胸が苦しくなった。それは、アメリカの黒人が警察官からすさまじい暴力を受けている姿を、いくつもいくつも集めたものだった。そこに写る黒人の男性も女性も、ほとんど防御の姿勢をとるだけだった。アメリカ社会のなかで学ばせられたようなその姿が悲しかった。

また、午後になって目にしたのは、40年前の韓国の光州事件をめぐる映画だった。国家がためらいなく市民に銃口を向けた歴史的現実に、眼の奥が収縮するような痛みを感じ、涙が止まらなかった。

自由や社会的公正さというものが、自分の日常や生命と引き換えにすることで手に入れるものなのだとしたら、私はまだそれを手に入れてないのだと考えないわけにはいかなかった。何だか、頭がぼんやりと重くなった気がした。

夜になって、ようやく、いつものような感覚に戻っていった。
(その間、なぜか、1973年の「金大中事件」の舞台となった飯田橋のホテルのことや、1970年代後半にはまだ大掛かりなストライキがあったことや、さらには中曽根内閣がおし進めた国鉄民営化のことなど、当時の記憶がとりとめなく断片的に湧き上がってくるのだった。きっと、午後に観た映画のなかで描かれた1980年の韓国の姿から、当時の日本の姿について思い出そうとしたからなのだった。)

それにしても、と思う。
1980年前後の日本の現実。1980年5月の広州の現実。2020年5月のミネアポリスの現実。それらに比べ、私の2020年今の現実の何と希薄なことだろうと。

 

f:id:vgeruda:20200602005918j:plain雨のあとで(6月1日 人魚姫の公園)