enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

コロナの大波に…。

 

引いてはまた返す波。
ふだん通りの浜辺では、引き波のあとに返ってくるのは、さっきと同じほどの波。

ただ、コロナ感染の場合、引き波のあとには、先の波より大きくなって返ってくることもある。

およそ3月以来、新聞紙面上の一覧表で、日本と世界の新型コロナ感染者数の推移を毎日眺めてきた(その切り抜きが溜まる一方だ)。
なかでも、感染者数最大の国、アメリカでの増減は気になった。

9月の時点では、日々、3~4万人増で落ち着いてきていた。
報道番組では、ニューヨーク州知事クオモ氏に似たくぐもった響きのバイデン氏の声が流れるようになった。アメリカのコロナの波が一旦鎮まったのだろうと感じていた。

しかし、大統領候補の討論会が始まる頃から、感染者数はしだいに増加していく。
10月には日々5~6万の増加が続いた。潮目が変わって再び増加に転じた…と思った。
そして11月に入るや8万、9万、10万、12万と、これまでよりずっと大きな波が押し寄せてくるようになってしまった。

今、アメリカのコロナによる死者数は24万人弱…ちなみに平塚市の人口は26万人弱…だ(アメリカでは今なお毎日1000人ほどの患者さんが亡くなられているのだった)。

目下…というより、今後も当分…、報道においては大統領選の結果にばかり気を取られることになりそうだけれど、アメリカでも日本でも、またヨーロッパでも、コロナはその感染の動きをとめていない。

来たるべき日本のコロナの大波に…「令和」の世において推奨されるのは、まず「自助」による努力だ!…と覚悟する今日この頃。

 

 

f:id:vgeruda:20201107190105j:plain箱根山の夕焼け(11月5日)

 

f:id:vgeruda:20201107190057j:plain東西に大きく連なる雲(11月6日)

 

f:id:vgeruda:20201107190116j:plain夕方の富士(11月6日)

ブルーンムーンへの願いごと。

f:id:vgeruda:20201102130456j:plain2020年10月31日のブルームーン

 

 

2020年10月31日の満月は、”ブルームーン”と呼ばれるものだと初めて知った。しかも、願いごとが叶う特別な満月でもあるらしかった。

 

10月半ばに八幡平で夜空を見上げていた時、頭上を星がサッと流れていった。北から南へ、暗い空に光跡をひいて、あっという間に消え去った。流れ星に願いごとを託すというのは至難の業だと思った。

しかし、満月はのんびりと夜空を渡ってゆく。静かに輝く満月に向けて、思いつく願いごとをいくつも届けることができるのだった。

 

その願いごとの一つが叶ったようだ。
11月1日夜の開票速報で、大阪「市」の存続が決まったことを知った。


その確かな一報が流れるのを待つ間、東京の友人とメールのやりとりをした。友人は大阪で生まれ大阪で学んだ人だった。「大阪市、おめでとう!」と送りながら、一つの気がかりが消えたことを実感した。

報道番組の画面から、大阪市長の敗戦の弁が聞こえてくる。
彼はその饒舌な言葉のなかで、「これだけの大きな闘い…問題提起をできたことは政治家冥利につきます」と語っていた。

”冥利”の言葉に引っかかった。

広辞苑』では「①善行の報いとした利益。②神仏が知らず知らずのうちに与える恩恵。③誓いの詞。」などと説明される「冥利」という言葉。

前回と今回との投票で、「賛成」か「反対」かという選択を迫られた人々。人々の間に対立と分断を生じるような問題を二度にわたって提起したことを、「政治家冥利」という言葉で、個人的な満足感・達成感として肯定するのは、あまりに勝手と勘違いが過ぎないか? そう思った。 

 

しかし、とにもかくにも、大阪「市」の歴史が続くことが決まったのだ。
そして、願いごとはまだまだたくさん残っている。
(お月様、どうぞよろしく…また、次のブルームーンの2023年8月31日夜もどうぞよろしく!)

世を欺く人を一晩で紫色に染め上げよ。

f:id:vgeruda:20201030103800j:plain近づく月と火星(10月29日 17:24)
この夜のTVでは、日本学術会議の任命問題を取り上げた番組が流れた。
2020年10月…この任命問題の報道に接してきたなかで初めて、報道姿勢の鮮明さ、注意深さというものを感じ取った番組だった。
インタビューを受ける人間の生身の身体から発信される情報は”誤魔化し”が効かない。
顔つき・表情・目の動き、全体の物腰、声のトーン・話す速度・言い回し・言葉の選び方…。
受け手の私たちは、それらから得た情報を自分なりにほぼ正確に分析する。

一方、この番組が流れた時間、夜空では、月と火星がそれぞれの道筋を迷わず進んでいたに違いなかった。

願わくば、これらの天体からの光が、世を欺く権力者たちと彼らに与する人々の頭と体を一晩で紫色に染め上げよ…と妄想した。
そうであれば、10月30日の朝、世の人々は世界の有様が一変していることに驚愕するのだ…あぁ、かの人も、かの人も、その頭と体は紫色…と。

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29日の夕方、買い物に行こうと表に出ると、ヒヨドリの声が響いていた。

西に延びる電線上で、大きく嘴を開き、啼き続ける鳥のシルエットが眼に入った。
カメラを取りに部屋に戻り、再び電線上を見上げる。残念なことに、ヒヨドリはすでに啼くのをやめていた。

もしかすると、夏の間、ベランダの前の樹陰で子育てしていたヒヨドリかもしれなかった。そっと近づきカメラを向ける。2~3度、シャッターを切った。ヒヨドリはじきにくるりと向きを変えて東へと飛び去った。

そのカメラを持ったまま駅に向かう。まだ明るい。
人魚姫の公園に寄ってみると、秋の薔薇が余力をふり絞るように咲いている。健気な一輪の薔薇の姿をファインダで切り取る。

買い物を終え、再び人魚姫の公園の前に戻る。すでに薔薇たちは薄闇色に沈んでしまっていた。

その代わりに、南東の空には十三夜に近い月が明るく浮かび上がっている。その東隣には赤い星。月と火星が今、間近に出逢おうとしているのだった。

夜空に向けて、二つの星の配置を切り取ろうとするけれど、思ったように撮れない。

気がつけば、カメラを下げている同じ肩に掛けたバッグから、3本束ねた長ネギが大きくはみ出していた。

はみ出した長ネギが、私と宇宙の運行との果てしない落差を物語るようだった。どうにも居心地悪そうな長ネギの姿は私そのもの。

道の真ん中で、カメラレンズにキャップをかぶせながら思う。
いつか、月のそばを行き来する星屑になれたなら、この地球上の、私と同じように居心地悪そうな人々を、眼下に懐かしく見つめ返したりするのだろうかと。

 

 

f:id:vgeruda:20201030103706j:plain電線上のヒヨドリ

 

f:id:vgeruda:20201030103722j:plain10月29日の薔薇(人魚姫の公園で)

 

 

 

あのドラミングはどんなキツツキ?

 

昨日、海に出かけた。
波の静かなリズム。雲間から洩れて海面に届く射光。
狭苦しい日常のなかで溜まりがちな鬱屈も、夕暮れの広い海、広い空に溶け出てゆくようだった。

白い半月が中天に差し掛かる頃、浜辺の空気は10月末らしい肌寒さに変っていた。

 

夜になって、安曇野の友人にメールした。

友人の体調を気遣う言葉で始めながら、結局は最近の自分の不調を訴えたりして、最後に「お互いに頑張ろう!」的なベタな言葉で終わることになった。
(ただ、10月半ばに出かけた旅の前と後に嘔吐したことや、旅のさなかに蜂窩織炎とやらに罹って治療中であることなど、細々としたことは書かなかった。長い間、重い不調を抱える友人の日常を思えば、私の現在の不調は、ちょっとした鬼の霍乱でしかないのだった。)

そのメールのやり取りのなかで、『アンという名の少女』の話題も出た。
これは、相手を選ぶ話題だ(選ぶほど相手は多くはないけれど、まず、相手がそのドラマを観ていることが必須だから)。

その後、恐る恐る夕食をすませる(少しずつ口に入れる。噛む。呑み込んでしまう前に違和感が無いか確かめる。はぁ…。)

 

無事に夕食を終えたあと、海への散歩のせいか、うたた寝をした。
そして、『アンという名の少女』を観て、二度目の心地よい眠りについた。
(ドラマのなかで、アンが雪深い森のなかを進む場面で聴こえてきたドラミングの音を懐かしく思い出す…どんなキツツキなのかなぁ? コゲラ?それともアオゲラみたいなのかなぁ?…)

 

f:id:vgeruda:20201026121902j:plain10月25日の夕陽

 

f:id:vgeruda:20201026122022j:plain10月25日の引き波

 

f:id:vgeruda:20201026122109j:plain波と砂に夢中!

 

f:id:vgeruda:20201026122157j:plain10月25日の月

いつのまにか10月22日。

 

やはりコロナ禍は、人々や社会に、じわじわと不健全な影響を及ぼしているのでないか。

少なくとも私は、自分の中に不健全なものが常住しはじめたように感じている。
新しい季節を迎えても、心や身体はそれを十全に楽しめていない。どこか、これまでとは違う気がする。

コロナ禍によって生まれた不吉な何かが、私たちとともに未来へと歩みを進めている。
(その不吉な何かは「カオナシ」のように社会につきまとい、世界から”良きもの”を吸い取っているかのようだ。)

 

今朝、「キース・ジャレットが再起不能の可能性」という記事を読んだ。
(この前は高田賢三が亡くなったように、時代が生んださまざま美しい花が末枯れてゆく。消えてゆく。)

およそ45年前…友人を通じて知ったキース・ジャレットの名、その「ケルン・コンサート」の音。
当時、友人が住んでいた会社の寮の小さな部屋に、同期のみんなが集まっていた。
その夜、ふと、友人が1枚のLPを聴かせてくれたのだった。
みんな、膝を抱えながら聴き入った。
私は、宇宙のように暗く、そして輝かしい空間の奥深くに迷い込んだような気がした。(このことは、すでに、”enonaiehon”:2017年8月20日「響きと記憶」にも書いた。)

3年ぶりに、再び、ネット動画で「ケルン・コンサート」を聴いた。
美しいものが甦り、”良きもの”が戻ったように感じることができた。

 

その直ぐあと、なぜか、家族との間でちょっとした言い争いをした。
それは、『運命の力』の「神よ、平和を与え給え」を林康子さんが歌っているのを聴いたことがあるかどうか?という、何とも偏狭な言い争いだった。

家族は「聴いたことがない」と言い、私は「林さんの ♫ パーチェ パーチェ ♫ の歌声がはっきり聴こえてくる(だから、聴いたことがある)」と主張した。

で、結果、私が”勝った”( 私のMDには、林康子さんのその歌声が録音されているのだから、これ以上の証拠は無いのだった。家族は、「勘違いをしていた…」と素直に”負け”を認めた)。

この流れで、古いMDを引っ張り出すことになった。
そして、林康子さんの「神よ、平和を与え給え」から始まって、市原多朗さんのアリアにも聴き入ることとなった。本当に久しぶりに聴いた輝かしい声だった。

また、再びネット動画でマリア・カラスの「神よ、平和を~」も聴いた。そして、やはり、美しいものが甦り、”良きもの”が戻ったように感じることができた。

 

音楽は、コロナ禍の不健全と不吉を浄化する…10月22日の朝、いっとき、心が生気を取り戻した。

 

f:id:vgeruda:20201022211904j:plain 10月22日の薔薇(人魚姫の公園で)

 

古い古い財布とコロナ。

 

今日、高田賢三さんの訃報を聞いた。新型コロナウィルスに感染し、パリで亡くなったという。

私でさえその名を知る世界的なファッションデザイナーがコロナによって最期を迎えた…また一つ、2020年の現実世界に漂う”喪失感”が可視化されたように感じた。

これまでのところ、私の小さな狭い日常にコロナの影は片鱗もなく、外出時の彼我のマスク姿だけがコロナの現実を支えている。
かろうじて小さな布に象徴されるコロナの現実感の危うさ。コロナはもしかすると、私が見続けている長い夢のなかの不吉で不条理な作りごとかもしれなかった。

それなのに、なぜか、高田賢三さんの訃報は、2020年の現状が夢・幻ではないことを私に念押ししてきた。誰もがコロナの脅威にさらされている、誰もコロナの脅威をまぬかれない、それは現実なのだと。コロナとはあっけない現実なのだと。

 

 

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私の古い古い財布(たぶん20年以上使い続けている)と、
2~3年前に摺り切れて使えなくなったキーホルダーの残り。
” kenzo ” さんという人が確実にどこかに旅立ったことを、
これからもこの財布を手にするたびに思い起こすと思う。

 

せせこましい人の国だなぁ。

 

 

何だかせせこましい人の国になったなぁ。

 

遥か昔、首相が中曽根さんだった頃、国労を潰しにかかる圧倒的な力に対し、強く反撥する感情とともに、立ち向かう強大な国家権力への恐れも感じていた。私が若く、守るべき生活があったから、ではないと思う。
また、人々にも社会にも真面目な熱量があった。日々、閉塞感・無力感はあっても、光を求めて進んでいる感触があった。闘いつつ、せせこましい人の国だなぁ、と嘆息することはなかったと思う。

 

2020年の今、最高権力者のポストからずり落ちる人も、そこによじ登る人も、私とほぼ同年代だ。彼らへの怖れは後退した(年を取って、恐れに鈍感になった。そして、同年代の権力者の知力と肉体の限界や人間性のせせこましさを感じ取る意地の悪さだけは身についた)。

 

だから、秋の夜空に昇ってきた白々とした月を見ながら、つい思うのだ。

今、何とせせこましい人が、この国を動かすものよなぁ、と。

 

 

10月1日の名月

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