enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.12.10

 9日は冬晴れの空。高麗山に行きたいと思った。
 街を通って花水川に出ると、安藤広重が描いた高麗山がそのま抜け出たような姿。平塚は海と川と砂丘の町であり、そして高麗山がそこにあることで絵になる町になったのだと思う。
 山麓の高来神社では陽なたの落ち葉のなか、枯葉色の蝶が歩いていた。越冬するために、何か冬支度をするでもなさそうだ。ちょっとうらやましい。翅を広げると意外な紫色を背に載せていた。
 山道には夥しい木の実、落ち葉、時々ヤブツバキの花。落ち葉の堆積のなつかしい匂いを肺いっぱいに吸い込む。ジッ、ジッとウグイスの声。ガビチョウ(?)の陽気な即興のさえずり。小暗い林も、鳥たちのおかげで明るくなる。
 山は清々しく手入れされていた。
 尾根道の木立ちの間に覗く、まばゆく光る相模湾。夏には見られない眺めだ。
 浅い緑に紅や黄の華やいだ色彩が織り込まれた林のなかにすわる。鳥たちはどこに行ってしまったのだろう…。
 風もない空から、ゆっくりと葉が舞い降りてくる。葉の着地音が小さく、しっかりと響く。静けさを際立たせて。そういえば、あたりには人の姿も無いのだった。
 高麗山で私は季節とともに休息する。そこには、いくつもの季節がある。いくつもの休息がある。

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八俵山からの相模湾

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八俵山の木々

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紫色の実

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軽やかな紅葉

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山道の陽射し

野坂昭如さんが9日に亡くなったことを知った。私は二十歳になったかならないかの頃、野坂さんにファンレターを出した。ピーター・フォンダの『イージー・ライダー』を観た頃だった。「日本のピーター・フォンダ様…」と、トンチンカンな言葉で書き出したことを良く覚えている。なぜ、投函できたのだろう。「若かった」のだ。(遠い世界の人にファンレターというものを出したのはこれが初めてだったし、最後だった。もちろん、返事は来なかった。)なつかしいです。さびしいです。野坂さん、さようなら。】