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私の第三十四夜をつづります。

阿弥陀様…弥勒様…その違い。

 

19日に浄楽寺で阿弥陀如来様に、21日には称名寺弥勒菩薩様にお目にかかった。

時を経ずして拝したこともあって、それぞれの仏様の印象の違いは、ことに鮮やかだった。

そしてその鮮やかな違いは、”如来”と”菩薩”という仏様の”在り方”そのものの違いなのだと、初めて強く意識したのだった…あまりに当然なことなのに…

阿弥陀如来坐像…弥勒菩薩立像…そしてこれまで出会ってきたさまざまな仏像。
その尊像名は、私にとっては、仏像を拝するにあたっての一つの分類記号だった。

同時に、『私が好きな仏像に十一面観音が多いのはどうしてだろう…』、『昔は不動明王の魅力が分からなかったけれど、今は親しみを感じるようになったなぁ…』、『如来像はどこか近寄りがたい…菩薩像はどれも美しく魅力的…三尊そろうと贅沢そのもの…』、『毘沙門天はとくにカッコイイ…』など、拝した仏像に個人的な思いを紐づけることで、尊像の種類の大まかなイメージが形づくられてきたのだった。

また、仏師の違いや制作された時代の違いなどで、個々の仏像の印象は大きく異なるにしても、私の場合はまず、その尊像の種類の違いで強く惹かれたり、そうでもなかったり、ということも多かったように思う。

今回、続けて阿弥陀様と弥勒様とに向き合ったことで、今さらのように『阿弥陀如来はやはり”如来像”なんだ…弥勒菩薩はやはり”菩薩像”なのだ…だからこそ弥勒如来は”如来像”だし弥勒菩薩は”菩薩像”なんだな…』と得心がいった…あまりに遅すぎる納得…

次に仏様に出会う時、私はどのように向き合うのだろう?
その技法や年代や作者、図像学的な意味合い……無学なゆえに知りたい気持ちが先だって心急いてしまうような向き合い方ではなく、できれば雑念をはらって、自分の心をいっぱい開いて向き合いたい。

そのうえで心が波立ったのなら幸せだと思う。

 

称名寺のご本尊「弥勒菩薩立像」の御開帳で(10月21日)~称名寺金堂:金堂の中では、「弥勒菩薩立像」のほかに「海中出現観音(長浜観音)」も併せて拝することができた。称名寺ご住職のお話も、とても興味深くうかがった。「横濱金澤シティガイド協会」とガイドさんのお世話になって、素晴らしい一日を味わえた金沢文庫称名寺を何度も訪れながら、大津波と海中仏〈漂着仏〉とが直接結びついた「海中出現観音」の伝承など、今回初めて知ることが多かった)

 

阿字ヶ池と仁王門

金網から飛び出してきそうな迫力に満ちた仁王様