enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

山科の十一面観音さま。

 

20日朝、京都・山科駅
西の空には虹が架かっている。通り雨だった。

山科駅から坂をのぼり、山の麓の安祥寺に向かう。
(この道を20代の私ものぼった…あの時、仕事で初めて伺った頼りない私を迎えてくださった先生はお元気に過ごされているのだろうか…。
当時の先生の年齢をはるかに越えた今の私の記憶の底にあるのは、静かで奥まった印象のお屋敷と玄関の中の仄暗さだ。
しかし、あの頃の山科の家並みにも感じたはずの強い古色のようなものは消えていた。やはり、年月が経ち過ぎているのだった。
また、その頃の私は、先生のお宅のすぐ先に安祥寺というお寺があることを知らなかった。半世紀近く経って、こうして安祥寺の十一面観音様に逢いたいと思い、旅に出たことを想うと、不思議な感慨を覚えずにはいられなかった。)

安祥寺の門はまだ閉まっていた。
門が開くまで、疎水の道をさかのぼって毘沙門堂というお寺を訪ねる時間がありそうだった。

疎水の流れは早く静かだった。
はらはらと散り落ちた枯れ葉が、なす術も無く、それぞれに急ぐように滑るように流れてゆく…そのまま、『方丈記』の世界へとつながっているように思えた。

毘沙門堂を訪ね、安祥寺門前まで戻った頃には、不安と憧れで緊張し高まっていた旅心も静まっていた。

いよいよ観音堂の前に…。

お堂の戸は正面だけでなく、東西の戸までも広々と開け放たれていた。
このように開放的な空間へと迎えられたことに、まず心を突かれた。
私一人だけで、このお堂に住まわれる十一面観音様に向き合う…心臓が高鳴った。
厨子のなかの観音様の前に進み、手を合わせ、さまざまに祈った。今年失った友のこと…もう逢うことの叶わない人々のこと…。顔をあげ、観音様のお顔を仰ぐ。

あぁ…本当に素晴らしい仏様なのだった。
どうしようもなく涙があふれてしまう。
お顔もその体も、厚みのある黒い肌が金色の光を反射している。
背後をひんやりとした風が通ってゆく。
山科の駅を過ぎてゆく列車の音。高校のチャイムの音。林のヒヨドリの囀り。それらが観音堂の開かれた空間に響いて消えてゆく。

仏様はそれらをただ静かに聞き、立ちつくしていらっしゃった。

 

 

11月20日朝の虹(山科駅で)

 

安祥寺観音堂

 

境内から拝する十一面観音さま

安祥寺の拝観券