enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

改めて”不動平”を探し直す(1)

 連休の最後の日、下吉沢に向かった。今回の目的は二つ。
 新たに、大磯町寺坂の王福寺の旧位置とされる地点を確かめること。
 そして、改めて”不動平”を探し直すこと。
 前回、偶然に地元の方に出会って、”不動平”と呼ばれる地点の方角だけは明らかとなった。やみくもな手さぐり状態から多少は前進している(と思いたい)。
 西から東に舌状に伸びる二つの尾根を歩いて、平坦地(八剱神社や弁天通古墳群から南西方向にあたる)を探せばいいのだ。たとえ見つからなくてもいい。行けるところまで歩いてみるだけでいい。
 ”幻に終わった不動平”から、現実の”不動平”に少しでも近づかなければと心が急く(”王福寺旧位置”を探すという、新たな目的はひとまず後回しにして)。
 
 まず大磯町寄りのルートから探し直す(この地域が桜沢なのか、北に接する日影沢との境にあたるのかは分からない)。
 暗い沢を左眼下に見ながら細く荒れた道筋を進む(地図上にはないが、はっきりと通っている)。大きな地すべりや倒木が行く手を阻むが、越えられないことはない。
 じきに道が右手の斜面に取りつくように登ってゆく(ように見える)。この先に平坦地が開けているだろうかと淡い期待が生まれる。だが、それもしぼんでいった。擦り抜けられないほどに木々の密度が濃くなってしまったのだ。突き進めば、入会橋分岐方面に出られるように思えるのだが、結局断念する。無理はしないのだ(若くないので)。
 さて戻ろうと、足元に注意しながら下っていくと、小さな黄色い花の可憐な立ち姿が目に飛び込んできた。先ほど、不安な気持ちで突き進んでいた時は気づかなかった。風に揺れる孤立した花にカメラを向けると、気持ちがやわらいでゆく。踏みつけなくて良かった。
 帰り道は気持ちにゆとりが生まれた。この沢伝いのルートの登り口は谷戸の姿をとどめているのに、眼の前を小田原・厚木道路が横切っている。不思議な景観だ。
 
 次に目指す北隣のルートの登り口は、この小さな谷戸と、弁天通古墳群(”大光寺跡”想定地)との中間地点あたりだ(この地域も日影沢なのか、北に接する土堀との境にあたるのか分からない)。歩き始めから、先ほどのルートとは別世界のように明るい。『平塚市地名誌事典』(小川治良 2000 )で「日の当たる山稜部」とされる”日影沢”の名にふさわしいのでは、と再び甘い幻想が生まれる。
 手入れされた竹林の脇を通り、まもなく予期していたような小さな平場に出る。鞍部状で決して広くはないが、人の手が入ってのどかなスペースになっている。”幻に終わった不動平”の淨らかさに比べ、親しみやすい空間だ。光が差し込む広葉樹の林の中の道にも人のぬくもりが感じられた。
 ただ、事典では「山稜の頂上部120m」とあるが、ここは頂上部ではないし、標高も100mそこそこではないだろうか。もし”日影沢の不動平”ならば「カンマン不動が祀ってあったと言われ、その敷石が現存している」はずだ。探してみたが、それらしいものは見当たらなかった。地元の人が薪を取ったという”不動平”はここではないのだろうか。ただ、地元の方に教えていただいた方角の範囲内にはおさまる…と気を取り直す。先に進む。 
 やがて道は狭まって、顔にかかる蜘蛛の巣や枝先をかき分けるようになる。すると急に広い尾根道に出てしまった。一瞬、『ここはどこだろう?』と戸惑ったが、すぐに”幻に終わった不動平”の手前の尾根道だと気がつく。『ここに出るルートだったのか…。』
 しかし思えば、下吉沢の人々がこの神聖な地点に通うための、最短かつ最も緩やかな道筋なのではないだろうか。改めて地図上でこのルートを確かめると、前回”大光寺跡”と想定した弁天通古墳群の背後(西側)の山を南東から廻り込んで取りつくルートになっている。人知れず咲く黄色い花は無かったけれど、この人々のぬくもりが感じられるルートを知ったことで、下吉沢という地域が自分のなかに深く入り込んだような気がした。
 
イメージ 1
大磯町寄りの荒れたルート
 
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斜面に孤独に咲く黄色い花
 
イメージ 3
尾根筋上の明るい平場を振り返る・・・右に登ってきた道。
(この舌状に伸びた尾根の東端に「原畑横穴」・「弁天通古墳群」が立地する。神聖な場所へと通うルートの休息場所だろうか。小さなお堂なら建つだろうか。)