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私の第三十四夜をつづります。

霧降の滝の不動尊像(1)

 12日、タチツボスミレが咲く山道を歩きたくなって、一年ぶりに下吉沢に出かけた。 
 もう一つには、”旧大光寺の礎石らしき石”を今度こそ確かめたいという思いがあった。
 結果、今回も地蔵尊の周辺にあるはずの”礎石らしき石”を確認できなかった。
 地蔵尊が佇つ場所の直下と前後に、丸い礎石状の石が残っていることは確かめてあった。ただ、探している石はそれよりも大きいはずだ。近くの古墳に係る石かもしれないし、大光寺の礎石であるとは限らない石。ただ、見た人の話によれば「お地蔵さんのすぐ上にある」という。それほどたやすく見つかるはずの”礎石らしき石”。なぜ何回足を運んでも、私には見つけられないのだろう。信心の心が足りないからか。
 お地蔵様の上でがっかりしていると、年配の人が歩いてくる。はやる心でたずねてみた。その方は「礎石のことは分からないが、この先に昔のお寺の跡が残っている。」と親切に道を教えてくださった。お話をありがたくうかがいながら、それは恐らく、妙現寺の跡地のことを指しているのだろうと思った。今回も”礎石らしき石”についてはあきらめて帰るしかない。
 
 一年ぶりの下吉沢の里はのどかなままだった。日影沢の山道には春の光がさしこみ、字の通りに”陽光の沢”であって、日陰の沢ではなかった。”不動平”と推定している平坦地を通り過ぎる時も、不動明王像が佇むのにふさわしい場所はここ…という思いを新たにした。もし山火事があったとしても、この場所から、小柄の不動明王像を担ぎ出し、山道を駆け下りるのは難しくない。ゆるやかな山道で、そんなふうにも想像した。
 しかし、じきに尾根道に出る…というあたりから、道のようすが大きく変わっていることに驚いた。木々が伐採され、草むらが刈られ、”山王社”下から分かれる5本の道がはっきりと見渡せるようになっていた。
 これらの道はすべて歩いた。それぞれの道を思い浮かべる。一方で、信仰の山と思われた山の道筋が、今、はっきりと分かるように整えられたのはなぜだろう、と思う。下吉沢のこじんまりとした山が、急にむき出しになったようで戸惑いも感じた。鉄塔管理のためなのだろうか。
【分かりやすくなった5本の道筋】
*松岩寺からの道と八剱神社からの道が合流する道(道が拡張され、”山王社”の斜面が削られているように見えた)
*今登ってきた日影沢の道(日影沢の麓に推定・旧大光寺跡が位置し、地蔵尊像はその中央付近に佇つ、という位置関係になる)
*”山王社”と”山神社”を結ぶ尾根道(その先は大磯町となり、王福寺や鷹取神社への道に分岐する。ここまではマウンテンバイクの轍が残っていた)
*霧降滝上流からの道(№75鉄塔を経由する)
*霧降滝からの道(№76鉄塔を経由する)
 5本の道筋を集めるような”山王社”に向かう。そのたたずまいはやや明るくなっただけで、大きくは変わっていなかった。石祠には真っ白な塩と米とが供えられ、清められてからそれほどの時間が経っていないように見受けられた。西の”山神社”の石祠にも同じように塩と米が供えられ、空からは桜の花びらが静かに舞い降りていた。

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下吉沢のスミレ①

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下吉沢のスミレ②

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”山王社”の地に佇つ大日如来像(六十六部供養塔)。その視線と口元は三百年続いて変わらないようだ。