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私の第三十四夜をつづります。

再び不動平へ(5)

 「大光寺跡」(推定地)の地蔵尊石碑の銘文は、私の能力ではすべてを読み取れそうもなかった。”先達はあらまほしきことなり”と心得て、博物館で石仏を調査されているグループの方々に教えを請うた。幸い、この地蔵尊石碑の調査が終わっていたため、昨日、その記録を読ませていただくことができた。
 会の綿密な調査のおかげで、銘文のすべての文字が明らかになった(会の皆さん、ありがとうございました)。 
 地蔵尊の左右に、「奉」で始まり、「敬白」で終わる43文字が刻まれていた。向かって右の21文字は、男性の戒名と「施主」の文字で終わり、左の22文字は女性の戒名と「敬白」の文字で終わっていた。
 次は内容だ。漢和辞典を引いたり、石仏の願文例などを調べてみた。そして、この地蔵尊石碑が法華経一千部読誦を記念して造られたものであるらしいことが分かった。背面に刻まれた「于時延宝八庚申年二月吉日」についてはその年代(1680年)に興味深いものを感じた。「下吉澤住僧朴捻」という人物が、中原上宿に山王社を建立し、山王廿一社の種字を書いた木札を納めた1640年にごく近い年代だったからだ。
 この「下吉澤住僧朴捻」と、現在の下吉沢の「山王社」推定地との間に、つながりがあるのかどうか、分からない(『新編相模国風土記稿』が書かれた時代、下吉澤村の「山王社」は村持とされている)。
 また、この地蔵尊石碑造立者の家が、17世紀代の「下吉澤住僧朴捻」と何かしらの係わりがあったかについても、確かめようがない。ただ、下吉沢の「大光寺跡」(推定地)の土地と歴史をともにした地蔵尊石碑が、今なおその姿をとどめていることを記録しておきたいと思う。
 
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            石碑背面に刻まれた年号
 
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   地蔵尊石碑の前の石
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   地蔵尊石碑の後ろの石
   
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   地蔵尊石碑の下にも同じような石
 
 石碑の下を真ん中にして、径20㎝ほどの丸く平たい石が三つ並んでいることになる。お寺の礎石としては小さすぎるように思える。石碑をわざわざ不安定な石に載せていることも気にかかる。