enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.4.23

 先日から、久しぶりに新聞小説を読んでいる。
 私が新聞の連載小説に興味を持っていた時期は、たぶん1960年代半ばぐらいだったろうと思う。きっかけは、『奇病連盟』という変わったタイトルの小説だった。内容は覚えていないけれど、「奇病」という言葉に強い印象を持ったように思う。
 魅入られるように読んだ覚えがあるのは『化石』。そして『氷点』。その後、しだいに新聞の連載小説を読む習慣が無くなっていったように思う。
 今また読みはじめたのは『心(こゝろ)』。学生時代に読んだはずなのに、おそろしいことに、まったく覚えていない。
 そんないい加減な読者だけれど、漱石の小説を新聞の連載で読むというのが新鮮に感じられる。次を読むのが楽しみ、というささやかな喜びは久しぶりだ。
 読み始めて、強く感じるのは漱石の文章の独特さだ。これは漱石だけの個性なのだろうか。作家が生きた時代のなせるものなのだろうか。同時代の他の作家をほとんど知らない。だから比べようがない。
 それにしても、ふつう、まずこんな書き方はしないだろう…と思う文章がある。(一)で、思わず『誤植だろうか?』といぶかしく感じた文章。
 「古い燻(くす)ぶり返った藁葺の間を通り抜けて磯へ下りると、この辺にこれほどの都会人種が住んでいるかと思うほど、避暑に来た男や女で砂の上が動いていた。」
 文豪の文章に対し、私ならこう書く…などと言うのは畏れ多いけれど、「避暑に来た男や女が砂の上で動いていた。」と書いてしまいそうに感じたのだ。
 でも、そう書いてはニュアンスがずれてしまう。砂の上のカニがゴソゴソ動いているような場面になってしまいそうだ。
 こんなふうに、とにかく、ひっかかりが生じる文章なのだ。味がある…というのはこういうことなのだろうか。次が楽しみだ。
 
4月23日の海
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今年も咲き始めたハマダイコン
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