まだ中学生の頃の私は、毎日、新聞小説を読んでいたのだと思う。
『氷点』、『化石』、『奇病連盟』…何でも忘れるようになった今でも、そのタイトルを覚えているくらいなのだから。
それらの新聞小説の記憶といえば、挿絵よりもずっと美しいはずの少女のイメージだったり、老人の醒めた独白の知的な雰囲気だったり、奇妙な歩き方の描き方だったり…わずかにほんのひとかけらずつ。
そして、最近になって、『化石』の主人公のことを何度となく思い出すことがあった。私の身体の内側の粘膜に”蟹”が食いついている…そんなイメージがぴったりの感覚があったのだ(確か、『化石』の主人公の老人は、自分の身体に”蟹”が棲みついているように感じていたのだったと思う)。
自分も『化石』の老人と同じような年齢と身体をもつほどに成長(?)したのだな、と不思議な感慨があった。
この数日、私の身体の中の”蟹”のイメージが少しずつ遠のくようになった。再び、海まで足を延ばす力が戻ってきた。まだ、日没までには時間があった。海に出かけよう…。
2月半ばの夕方の海は、長くさまよえば手指が鈍くかじかんでゆく。冬から春へと移ってゆく今…その過程のかじかみだ。
2月15日の大島
2月15日の海
2月15日の富士
2月15日の日没