enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.12.8

 7日朝、外に出て冷え込んだ空気を吸いこんでみた。昨日まで息苦しかった気管支が、透明になっている。
 日曜の東京行きの電車は混んでいた。艶やかな髪の少女たちの会話を耳にしながら、本を拾い読みする。『奈良の寺』。コラム集のような構成は、どこから読んでもいいし、何度読んでもいい(記憶力が低下したおかげで、何度読んでも新しい…)。
 日暮里で待ち合わせた友人と、何十年ぶりだろうか、朝倉彫塑館に向かう。古い店構えが残る坂を歩く。今も漱石が歩いていそうな通りだ。
 靴を脱いで彫塑館のアトリエに入る。冬の陽ざしを浴びた「墓守」が迎えてくれた。なつかしい。彼は労働者の手と体つきをしているけれど、私にはなぜかロシアの作家のように見える。
 昔、仕事で訪れた時は、天井の高い1階のアトリエに入っただけだった。ゆっくりと、部屋を廊下を階段を巡ってゆく。なんて個性的な屋敷なのだろう。増築を重ねた建物が有機体のように、とぐろを巻いて息づいている。
 足もとから伝わる冷気で硬ばった体を、陽当たりのよい畳にすわって温める。明るく開け放たれた窓辺で友人とおしゃべりをする。障子には中庭の池の水のゆらめきが映っている。 
 部屋を巡りながら、東京は新しく古いと思う。きっと、古く新しい京都とは時間の堆積の厚みが異なるのだ。明治・大正・昭和という時間層が、まだ自分の身体の記憶につながっているように感じる。
 屋上庭園に出ると、360度の展望が開けていた。植えられたオリーブの樹形がスカイツリーと並ぶ。西の青い空に浮かんでいるアスリート像は、館に入る私たちを逆光のなかで見おろしていた人だ。東には、旧アトリエ館の屋根だろうか、女性像が置かれている。西と東のアトリエ上に頭となる像をかかげ、北でとぐろを巻く建物は、中庭の水辺から生まれ出たようにも見える。ほんとうに、なんと不思議な邸宅だろう。
 彫塑館で巡礼のような時間を過ごすうちに午後になった。
 もう一人の友人がヴィオラのパートを演奏するコンサート会場に向かう。暗い席から、遠い光のなかで滑らかに動く彼女の右腕、指先を追う。見慣れているはずの彼女なのに、そこには、彼女だけの身体、音楽を楽しんでいる身体があった。
 一日の予定が終わるころには、いつもの頭痛が出てくる。それでも、薬が効いた甘やかな気持ちで平塚の駅に着く。通りでは、十六夜の月が待っていてくれた。
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