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私の第三十四夜をつづります。

角の傷んだ小さな本たち

 

26日午後、大磯町に出かけた。

昔と変わらない大磯駅
バスに乗り、その日の行事の集合場所―”旧吉田茂邸”へと向かう。
隣町に住みながら、その邸宅への関心が低いまま、焼失(2009年)以前も再建(2016年)以降も見学したことがなかった(ちょっと疚しい…)。 

それでも、会の一行とともに邸内を巡ってゆくなかで、そこに居住した人物の姿…広い窓辺から彼方の山々や水平線を眺め、時には海辺にも降り、晩年においては、ゆっくりと庭を歩く時間を楽しんだのであろう一人の老人の姿が浮かんできた。

また、その蔵書(吉田文庫)の一部を見た時、角の傷んだ小さな本たちに親しみを覚えた。そして、晩年の吉田茂がしばしば手にとって読んだ本は、これらの小さな本たちだったのだろうと想像した。

吉田茂邸をあとにした私たちは向かいの城山(じょうやま)公園へと向かい、横穴墓群を経て、大磯町郷土資料館に着いた。
(林のなかの大木や斜面の竹林が台風でなぎ倒され、無残な姿を見せていた。)

リニューアル(2016年)後の郷土資料館では、エントランスにも、展示室内にも、”別荘地大磯”ならではの展示が設えられ、その力の入れ様が伝わってきた。
(しばらく訪れない間に、郷土資料館はすっかり様変わりして、新鮮な印象になっていた。そして、先のリニューアル(2005年)から遠ざかって久しい平塚市の博物館を思い起こさないではいられなかった。)

細部にわたった興味深い解説に耳を傾けながら展示を見終える。
(私は受付で『神奈川縣 大礒明細地図 三宅政之編輯 三宅商店發行』という絵地図を購入した。) 

 

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『神奈川縣 大礒明細地図』:
壁面いっぱいに引き伸ばされて展示されていた絵地図の頒布版。
展示されている大きな絵地図の解説のなかで、”高麗温泉”に触れられたことに驚く。花水川をはさんだ平塚市側の”上平塚温泉”跡地を、先週参加したジオツアーで見てきたばかりだったから。そして、高麗山南東麓(花水川右岸)に描かれた”高麗温泉”と、花水川左岸の”上平塚温泉”とが、地下深層でつながっているように妄想した。

 

その後、一行は、東海道筋に並ぶ整備計画中の別荘群、ひっそりとした旧島崎藤村邸などを経て歩き続けた。

そしてゴールの大磯駅に着く頃には、西の空にオレンジ色と薔薇色の夕焼けが広がっていた。
(今日の午後は何と新鮮な時間だったことか…心は軽やかになったけれど、足が重く沈んでゆく…。)

      

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     10月26日の富士山(大磯町・旧吉田茂邸前から)

      

      蔵書の一部(旧吉田茂邸で)

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      植物や動物、野鳥の本も:
      庭園の木々の梢では愛らしいヤマガラの姿を見かけた。

 

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         天体への関心も?

 

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吉田茂像(旧吉田茂邸の庭で):
ゆったりとした和服姿で、西湘バイパスの車の流れも気にならない風情で東向きに立つ。右手に杖、左手には葉巻。その風貌はどこか、亀井静香さんにも似ているような?
(配られたパンフレットでは、「サンフランシスコを向いて立つ吉田茂像」とあった。像を見る人の中から、「それなら、この像はちょっと方角が違うのでは…?」という声が聞こえてきた。みな、しばし首をかしげた。
帰宅後、正距方位図法の地図を眺めてみた。結局のところ、よく分からない。理解できたのは、サンフランシスコが東京の北東方向に位置すること…で、大磯からは?…地図を見ても、きちんと読めない自分がかなり情けない。)

 

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     愛犬の墓標:
     このほかにも「愛犬ぽちの墓」があった。

 

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         薔薇園に咲き残っていた”マリア・カラス