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私の第三十四夜をつづります。

「はつる」という言葉

 24日、「発掘遺構から読み解く古代建築」(奈文研による東京講演会)を聴いた。
 
 かつて、”8世紀代の相模国庁脇殿とはどのような建物だったのか”などと、仲間たちとあれやこれや思い巡らした時期があった。それこそ”休むに似たり”の疑問が山ほど湧いた。しかし、やがて、そうした勉強会からは離れることになった。疑問だらけのままに。
 そして、今でも気になっていることの一つが、”掘立柱建物の床面のあり方”というものだ。国庁脇殿のような特殊な官衙建物に限らず、普通に検出される掘立柱建物の床構造について、ずっと疑問に感じてきた。
 硬化面が残っている竪穴建物ならば、土間状の床に敷物、といったイメージを思い浮かべることができる。しかし、周囲に雨落ち溝も無く、硬化面も無く(本来はあったが削平されたのか? もともと無いのか?)、床束柱などの痕跡も無く、柱穴のみが残る掘立柱建物の床構造について、どのようにイメージすればよいのだろう。 
 『土間でもなく、現在のような板張りの床でもないなら、簀子状の床の可能性はどうだろうか?』などと考えあぐねた。当時の人々の活動や、それに対応する具体的な建物像が浮かばないままだった。
 
 そうした疑問について、24日の講演のなかで何かヒントが見つかるかもしれない…淡い期待をもって6本の講演を聴いた。建築史学・考古学の専門研究者ならではの視点・分析、新しい情報などを(持続可能な記憶になるかどうかは別にして)学ぶことができた一方で、やはり、長年の疑問に係るヒントは見つけられなかった。

 また、出土部材の講演で耳にした、「はつる」という言葉が印象に残った。”削る”の意味と理解したが、初めて聞く言葉だった。
 そして帰宅後、偶然にも、その「はつる」の言葉を眼にすることになった。先日、川崎市能満寺の「聖観世音菩薩立像(榧材 一木造 10世紀前半)」の講座で聞き覚えたばかりの「翻波式」についての資料…図書館でコピーした『木彫仏の実像と変遷』(本間紀男 大河書房 2013年)の58頁…のなかで使われていた。 
 「(前略)
 平安前期の技法的特徴として翻波式衣文があげられる。従来 翻波式衣文は檜という優れた材と、製鉄鍛造の技術の進歩、更に当時 山科から良質の砥石が発見され、よく切れる鑿が造られる様になった事が一体となって出現したものと言われている。
 しかし針葉樹である檜は、年輪の春材秋材の硬軟の差が大きく 手斧(釿)等を使って縦に はつるには向いているが、横削り(鑿を木目に対し直角に当てがって彫る)には向かない材である。又 檜は割裂性が強く 緻密さと粘り気がさほど無いので 鎬立った翻波式衣文は欠けやすく、言われる様な 檜と翻波式衣文の結びつきの必然性は、実際に彫る立場からは考えにくい。
 その点 榧は正に翻波式に適した材で、榧の材質が翻波式を出現させたのではないかと考えられる。事実 千数百年を経た現在も、手の切れる様な典型的な翻波式衣文を見せる彫像の大半は榧材であり、エッジや木肌の風化した檜材の彫像と好対照を示している。法華寺十一面観音、向源寺の十一面観音、唐招提寺の頭部の無い菩薩形立像、室生寺釈迦坐像は榧翻波式衣文の代表例と言えよう。(後略)」

 こうして、24日は、「はつる」の言葉と出逢ったり(?)、専門研究者のそれぞれの鋭い視点に感じ入りながら終わったのだった。
 専門研究者の仕事から知的な刺激を受け、少し勉強したような気持ちになる一方で、『勉強した…それは錯覚では? いったい貴方は何を求めて、あちらこちらと聞いたり読んだりしているのか?』という声が聞こえてきたりもするのだ。少しでも勉強しようと外出するたびに、頭痛薬のお世話になっているというのに…。やれやれ。