enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2018.7.18

 何歳ぐらいからだろう。日差しが日に日に力を増すようになると、さて、この夏をどうしのごうか…と弱気になるようになった。
 2011年初夏の時点ではまだ、夜行バスに乗って石巻に出かけ、海岸地域の人家や側溝の泥をかき出す作業も精一杯やり通すことができた。
 7年経った今夏。毎日毎日、最低限の家事をこなすのが精一杯になった。
 先細ってゆく体力。なんだろうなぁ…と思う。こんなものか…と思う。
 今の私にとって、夏は長丁場の坂道のような季節だ。
 
 そんな激しい季節の夏だからこそ、一日の夕方…空や空気にやすらぎが広がりはじめる時間、少しだけ息を吹き返す。
 平塚という街であれば、そのやすらぎの先には海があるのだ、と感じ取る。海辺に育った私にとって、季節のなかの光と空気は、海の存在と不可分なものだ。
 
 海辺の街の光と空気の配分が、そこかしこの建物に特別の表情を与えるわずかな時間。一日が終わる前の華やかな翳りの表情はなぜか、いつも懐かしい。 
 一日の夕方。そのやすらぎが誘う。あの海辺には時間さえも広がっているのだと誘う。

イメージ 1
7月18日の海①

イメージ 2
7月18日の海②

イメージ 3
7月18日の海③

イメージ 4
海岸通りのサルスベリの花