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私の第三十四夜をつづります。

2018.9.3 ~晩夏の七日間~ (1)二十三夜塔など

 8月26日から9月1日まで、ツァーに参加して、白馬村で過ごした。
 7日間、毎日ひたすら足を動かし続けた。
 若い頃、職場の仲間たちと白馬の雪渓に挑み、山小屋に泊まった私は、すでに遠い記憶の中の別人だ。
 体力も気力も失った今の私は、リフトやロープウェイを使って五竜、八方、栂池の高みに到達する。いとも簡単に高原へと到達してしまう。
  
 滞在した7日間の前半は晴れたり曇ったり。後半は雨や風、雷にも見舞われた。
 そのなかで、青い山並み、黄金色の水田を眺めた。湧いては晴れる雲や霧に一喜一憂した。虹も現れた。澄んだせせらぎの音を聞いた。山道で出会った草花や蝶たち…その命の短かさを思った。

 晩夏の白馬村から帰ってくると、いつもの暮らしがそのまま夏の空気のなかで取り残されていた。
 白馬村の晩夏の七日間はすでに遠く去っていこうとしている。
 撮ってきた写真が日々の暮らしの埃りをかぶらぬうちに、少しずつ、まとめておこうと思う。

<二十三夜塔など>

かつて、博物館のサークル仲間と”星まつり”関連の石塔巡りをしてからというもの、旅先の道筋で、つい、そうした石塔が目に飛び込むようになってしまった。
今回歩いた”塩の道”はごく短い区間白馬駅~飯森駅)ではあったけれど、いくつかの”二十三夜塔”に出会った。
昔馴染みに出会ったように心が浮き立つのは不思議なことだ。”二十三夜塔”が、お月様や女性たちに縁のある石塔だからなのか。

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二十三夜塔①(文化四年=1807年):白馬村「大出の吊橋」付近の”観音堂石仏群”のなかで。


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二十三夜塔:白馬村の「塩の道」の”薬師堂石仏群”のなかで。

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二十三夜塔③(文化二年=1805年):白馬村の「塩の道」の”空峠石仏群”のなかで。

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二十三夜塔④(寛政十年=1798年):白馬村の「塩の道」の”飯森神社石仏群”のなかで。

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馬頭観音?:白馬村の「塩の道」の深空地区路傍で。
「七月二十三日」とあったので“勢至菩薩”?、”二十三夜塔”?と思ったけれど、”馬頭観音”なのかもしれない…。

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道祖神‐双体抱肩像(文化五年=1808年):白馬村の「塩の道」の”空峠石仏群”のなかでも、この双体道祖神の肩を抱き合う繊細なかたちが目をひいた。