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私の第三十四夜をつづります。

塩田平の寺々(1)

 12日・13日と、短い旅の合間を縫うように、塩田平(上田市)の寺々に立ち寄った。
 12日は前山寺(ぜんさんじ)の前を過ぎて中禅寺(上田市前山)へ。
 13日は、別所温泉北向観音安楽寺常楽寺を回った。
 立ち寄ることができても、本当に限られた時間しか見学できなかった。
 道すがら、ここにも立ち寄りたい…と思うところばかりだった。
 二日間、初めての塩田平を急ぎ足で巡りながら、世界には自分の知らない魅力的な”場所”が無尽蔵に存在しているのだと、改めて思った。
 日頃、ごく狭い日常空間のなかで暮らす自分が、遠い小さい存在に思えた旅だった。

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中禅寺に向かう道すがらで①:
路傍のお地蔵様(柳沢地区)。独鈷山の麓で塩田平の人々を見守り続けているのだろう。

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中禅寺に向かう道すがらで②:
無期限休館中の「槐多庵」(信濃デッサン館別館)。「無言館」もこの近くにあるというのに、ただ通り過ぎるだけの旅。

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中禅寺に向かう道すがらで③:
前山寺 (東前山地区)の三重塔。生垣の隙間から覗くように撮影。ここも、境内に一歩も入ることなく通り過ぎる。

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中禅寺に向かう道すがらで④:
龍光院(前山地区)近くの水車小屋。動いているのか、確かめる時間も惜しんで通り過ぎる。

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中禅寺に向かう道すがらで⑤:
”二十三夜”と読めるだろうか? 
これまで、私のなかでは、”二十三夜塔”の背景の一つとして養蚕業があるように感じてきたけれど(確かな根拠も無く)、実際はどうなのだろう。
ここでも、上田→養蚕業・絹織物→街路樹などの枝垂れ桑、そして”二十三夜塔”?などと、連想してしまった(いつもの私の思い込みで…)。

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中禅寺薬師堂(鎌倉時代初期):
平塚を早朝に出発し、予定より早い新幹線に乗って上田駅には8:40に到着。
喜んで乗り継いだ別所線の電車は、目的の「塩田町」より2駅手前の「下之郷」止まりだった。やむなく、予想外の道のりを歩き続け、目的地の中禅寺薬師堂にたどり着く。
まず眼に飛び込んできたのは、分厚い茅葺の屋根。その重量感たっぷりな屋根を支える、あまりに軽身な印象の柱と板戸…そのお堂の木質感の素朴さ。総じて古色を感じさせない風通しの良さそうな風情。
わくわくした気持ちと畏れ多い気持ちで薬師堂の中央(身舎)に座す仏様を拝する。差し込む朝の光をかすかに浴びながら、静かに瞑想されている仏様。
展示室でもなく収蔵庫の中でもなく、このように古いお堂のなかで21世紀の今日までずっと瞑想されているのだった。私のような者でも、今こうして拝することができるのだった。やはり、こうして出かけてみなくてはならないのだった。

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薬師如来坐像(カツラ材、寄木造り)及び神将立像:
薬師如来坐像を囲む四天柱の空間も、全体の色調もシンプルそのものだ。
東向きに建つ一間四面の小ぶりなお堂は、”藤原時代の「阿弥陀堂形式」”を採るとされている。
もし薬師三尊像及び十二神将像が造像され、残されていたならば、多少、手狭な空間になったかもしれない。

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中禅寺から中野駅に向かう道で①:
空気も、畑の広がりも、柿の実や紅葉する木々も、白壁の家々も、旅先でしか感じられない”里の秋”だった。

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中禅寺から中野駅に向かう道で②:
お寺を巡っているからなのか、外から小屋組みが見て取れる大きな建物に眼を奪われ、思わず無断でカメラを向けてしまう(申し訳ありません!)。

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中野駅から別所温泉に向かう電車(上田電鉄別所線):
駅に着いたのは12時近い時間だった。友人たちとの待ち合わせ場所は上田駅
写真の電車を見送ったあと、すでに一日分の仕事を終えたような気持ち(と疲れた足)で、上田行きの電車を迎えた。