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私の第三十四夜をつづります。

笛吹川左岸の三寺を巡っての感想

 1日、山梨県を訪ねて、笛吹川左岸域に残る大善寺、放光寺、福光園寺を巡り、いつものように、頭の中で妄想が飛び交った。
 
 一番に感じたのは、それぞれのお寺に、固有の歴史的な時間が土着?していて、空間的変容を加える過激な力から寺々を守っているのではないか…そんなイメージを持った。
 そう感じたのは、盆地という閉ざされた景観イメージによるものなのかもしれない。”土着的な守りの力”の雰囲気…それは、私が狭い範囲で知り得る平塚市内や鎌倉のお寺では感じたことのない不思議な雰囲気だった。
 
 漏斗状?の閉鎖的な自然空間の底に、外界から流入する宗教的時間が沈殿し、そのなかに、寺域空間を有機的なまとまりとしてパックし、その在り方を守り続けているのではないか? 言葉でうまく言い表せないけれど、そんなイメージの不思議な雰囲気だったと思う。
 
 拝観した仏様については、大善寺の日光・月光菩薩立像(248cm・247cm)の背の高さが印象に残った。仏像というより、やや威圧的?な”女神像”であるようにも見えた。その高さは、例えばアテネ・エレクテイオンの女性像を越え、表情は東大寺法華堂の旧安置仏の塑造(伝)月光菩薩立像や吉祥天立像に通じるように思える。
(隣で一緒に拝観していた方々は「アフロディテのような…」と話されていた。)
 
 また、放光寺の木造不動明王立像(平安時代後期)については、以前からその写真の全体的なシルエットをもとに、平塚市下吉沢・八剣神社の木造不動明王立像に似た姿なのでは?と想像していた。しかし、実際に目の前で放光寺像を拝し、むしろ、厚木市酒井・薬師堂の像のイメージ…これもまた、写真のみのイメージに過ぎないのだけれど…に近い像のように感じた。
 思えば、平塚市下吉沢の不動明王像の顔の特徴の一つとして、その下顎に人差し指をグイと押し当てたような窪みがあるのだった。こうした珍しい特徴から、平塚市下吉沢の不動明王像は特定の人物をモデルにしているのかもしれず、他の不動明王像の事例と比較することは難しいのでは?と思うようになっている。
 ただ、12世紀的?な政治的・経済的背景から生まれ出た(と想像する)不動明王像を拝する時、いつも、その制作を依頼した人々の思いが気になるのだ。なぜ、不動明王像を、このような造形で造像したのか?という問いかけは、これからも不動明王像を拝するたびに続くのだろうと思う。

 こうして、仏像について知識・経験のない私でも、現地に赴き、仏様を身近に拝観し、ご住職のお話をうかがうことで、思い巡らすことはさまざま湧き出てくる。このさまざまに思い巡らす喜びは、やはり特別な喜びなのだ。

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エレクテイオンの女性像(レプリカ、アテネアクロポリス、1994年撮影):
大善寺月光菩薩像の高さが発する神々しさや威圧感と共通するような造像例を、現時点で探すことはできなかった。
ただ、比べるべき事例ではないけれど、大善寺月光菩薩像の第一印象にやや近いものとして(思いつくものに)、上掲写真の女性像の神々しさ、あるいは次のような少女像の静的なシルエットが思い浮かんだのだった(これらの例とはかなりの開きがあるけれど、”異国的”な印象を表す言葉や作例が見つからない。)

       コレー(少女)像(高さ105cm、エレクテイオンの西側で出土、アテネアクロポリス美術館)
                【『西洋の美術 その空間表現の流れ』 (読売新聞社 1987年)から転載】
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