平塚の海は何も無い海。海そのものだ。
私が見た能登の海にも、海そのものが残っていた。
何も無い海…自然のままの海岸線に、さまざまな開発がプランされ、人工的な改変が行われ続ける。
後戻りできない改変…海は、なす術が無い。
今も、沖縄の辺野古の海に赤土が投入され続ける。
人々がどれだけ訴えればそれを止められるのだろう?
昔、ボブ・ディランは歌った。
昔、PPMも歌った。
その答えは風のなか、と。
でも、風のなかに答えは無い。
風も風そのもの。ただ吹くだけ。
そして、その風に吹かれて、力をもらうだけ。
【輪島~珠洲の海と陸】
沖合いに浮かぶ”七ツ島”(輪島市から):
左から、山の字形の御厨島、虹を光背にした赤島、朝日のあたる荒三子島。
(別の写真には、さらに右手に竜島、大島の姿もあった。七ツ島のうち、5島が見えていたようだ。)
朝のアラレ(輪島市):
目まぐるしく変わる能登の空模様。
宿を出て、傘をさす。乾いた大きな雪?と思ったけれど、道や生垣を白くしていたのはアラレだった。
足もとに広がる空とアラレ(輪島市 マリンパーク)
足もとに広がるさざ波(輪島市 マリンパーク)
足もとのラスター彩①(輪島市 マリンパーク)
足もとのラスター彩②(輪島市 マリンパーク)
能登の旅の二日間で、二度目の虹。夕方ではなく、真昼間の虹。目まぐるしく移り変わる空からの恩寵?
能登の最果ての地で、”光の狼煙”を点していた建物。
渚にそびえる城…島の裏手には、ベックリンの「死の島」があるのかもしれない…そんなイメージが浮かぶ。
~短い旅のなかで持ち帰った”モノ”たち~
それに対し、相模国司としての家持の姿は明らかではない。
旅先で、家持の歌が印刷された割り箸入れの袋を眺め、少し複雑な気持ちになった。
貝は千里浜で拾ったもの。