12年前の2006年12月、初めてカンボジアの旅に出た。
シェムリアップで4泊したその旅は、今回より見学時間にはゆとりのあるものだったと思う。
それでも、アンコール遺跡群の重量感、迷宮構造、精密な造形力に初めて向き合い、また樹木の破壊的なエネルギーを目の前にして、連日、圧倒され続けた。あれもこれもと、やみくもに写真を撮るのが精一杯の旅だった。
(当時の旅のメモでは、4泊目の夜は19時に寝て翌朝6時に起き、「起きれない。朝食抜く。」と書かれていた。半日近く寝ても足りないほど、疲れ果てたのだと思う。)
今回の旅では、遺跡群以外の建物にも少しだけ目を向けることができた。
12年前にもあったはずの建物、無かったはずの建物。
フランスの波、日本の波、韓国の波、ベトナムの波、中国の波…カンボジアは、今もさまざまな波に洗われながら、新たな国を建築しようとしている…今回は、諸外国の経済や文化の波が押し寄せた痕跡を意識させられる旅になった。
ワット・プノン付近からトンレサップ川を隔てて見る高層ビル群(プノンペン):
他国の資本によるのだろうか。高層ビル群が林立する風景…それはどこに行っても、同じような経済風景に見える。その場所の風土や文化から生まれた建物とは別物…旅人でしかない私には、味気ない開発風景に見えた。
セントラルマーケットのドーム天井(プノンペン):
ガイドのマノンさんの説明では、フランスによって建てられた(1937年)という。
ドーム状の吹き抜け天井が高く広く明るい。装飾的な細長い窓の連なりも美しい。
セントラル・マーケットと高層ビル(プノンペン):
リズミカルな波型の屋根。東京の築地市場が跡形無く消えようとしている今、うらやましくもあるオールドマーケットの活力。奥右手の高層ビルは、横浜のグランド インターコンチネンタル ホテルに少しだけ似ているような?。
ガイドのマノンさんのコメントによれば、「”中国橋”の高さは”日本橋”より高くなるように造られました。」
日本や中国による経済的”かけはし”としての建築物は、その”名”を残し、カンボジアの人々に日常的に使われ、役立ち続けている。
食堂の木造りの天井と階段(スラエム:ホテルの食堂で)
軍の宿舎(コー・ケー遺跡の手前の車窓風景):
同じような設計の宿舎が広大な耕地に点々と続く。それらのなかには、居住者によって個性的に(?)改装され、今も使われているものもあれば、この宿舎のように廃屋に近い形で残されているものもあった。
夕陽と鉄塔(ベンメリアのチケット・オフィス近くで)
一見、体育館のように天井が高く見えるけれど、衝立で仕切って教室にするのだろうか。この建物ももまた、湖上を移動できるのだろうか。
この学校で明日のカンボジアを作る人たちが育ってゆく…未来につながってゆく建物空間だ。