「春 てふてふが一匹 韃靼海峡を渡つて行つた。」
安西冬衛の一行詩…子どもの頃、国語の教科書で”習った”。
何を”習った”のかは忘れてしまったけれど、「てふてふ」と「韃靼海峡」の文字の形とその音感、広い海の上をひらひらと飛んでゆく蝶のイメージは、強く刻まれた。
(1行でも詩になる不思議も味わったと思う。)
今、この詩を初めて読んだならば、北上する”アサギマダラ”の姿を思い描いてしまうのだろう。
また、陸を離れ、海原を渡ってゆく”てふてふ”の姿に、”死と隣り合わせの自由”を重ねてしまうのかもしれない。
(若い頃に観た『パピヨン』の最後の場面…青く広大な海原を思い出す。今の私なら、あの映画をずっとましな眼で観ることができるかもしれない。そして、”私にとってのマックィーン像”が打ち砕かれた衝撃から回復できるのかもしれない。)
今回、八重山で眼にした蝶たちはみな、てふてふと舞いながら、生き急ぐふうだった。
翅の一部を欠いた蝶も多かった。
今、八重山の蝶の通り道がまぶしく眼に浮かぶ。
アサギマダラ(小浜島)
イシガケチョウ(小浜島)
シロオビアゲハ(小浜島)