開催地が緊急事態宣言下でも 開催を決めるのはIOCなのだ という五輪?
政権の 政権による 政権のための五輪?
復興五輪 や コロナに打ち勝った証しとしての五輪 の次は、何としても無観客だけは避けて開催したい五輪?
なぜ、これほどに傷を負った五輪が、敢えて開催されるのだろう?
「世界の青空を集めたような」印象を残した1964年の東京五輪…それは、少なくとも開催される意義があったのだ…と思う。
しかし、今夏、東京五輪が敢えて開催されたその先に、どんな空が広がっているのだろう。東京五輪が終わったあと、人々は、どのような空を見上げるのだろう。
1964年の東京五輪で使われた「鉄道乗車證」:当時、長兄はイタリア団長の運転手のアルバイトをしていた。兄が貰ったこのカードを、その後、私が貰った。コロナ禍の現在からは、とてものどかなカードに見える。
思えば、あの五輪は10月開催だった…私にとって、東京五輪は1964年で終わっていたのだろう。