8月に入って、日中の暑さがこたえ始めてきた。
蝉の声が、真昼間の白い光を乱反射させて響き渡る日々。時に、頭の中がマッシロに空洞化する瞬間がある。
で、相模国府域とその周辺の遺跡で馬歯・馬骨を出土する地点…そんなことを調べていると、貴方はなぜこんなことを調べているのか?という離人的な問いかけが頭をよぎったりする。しかも、その疑問に即座に返事ができず、固まってしまう自分がいる(よく考えれば、気まぐれと思いつきで始めた作業なので、これといった理由など無かったのだけれど)。
それにしても、こうした「ただただ妄りに調べる…その快楽が忘れられないだけ」…といった執着的な行動パターンは、ちょっと亡者じみているように感じる。
もう、身体はとっくに死んでしまっているのに、心だけが錯覚・執着して、生きていた時と同じような行動パターンから離れられない…それは、「生霊」にも似た、かなり怖いイメージではないだろうか。
こう、最近の自分自身をふり返っていたら、ふと、今の日本にはもっと深刻な怖い事例があるのだと思い至った。その深刻な事例とは、現職の総理大臣の「真夏のマッシロな不安」の姿なのだった。
この先、日本はどうなるのだろう…私だからこそ、その深刻さに不安を覚えないではいられない。
図書館への小道(8月6日)