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私の第三十四夜をつづります。

2011.12

冬雨を浴びて黒松は 肌ぬめぬめとした龍の背となり 生身を伸ばす 時深く広がる根がきしむまで  
                                                                                                       2011.12.03  大磯
 
 
2011.12.10
     
       六十歳のアリス
 
 冬の浜辺で夕日を見送る私の耳元にイメージ 1
 ウサギがこう囁くのだ。
 
 半世紀を超える時間のなかで
 世界も貴方も大きく変わったはずなのに
 きっと 何も変わってはいない。
 
<打ち寄せる波が滑らかに広がり 金色に光り輝く>
 
 半世紀を超えて あの波のように
 寄せては返す貴方の意識がすべてを映してきた。
 
 世界も貴方も
 きっと 金色に光るあの鏡の中に在るだけなのだと。
 
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2011.12.10
 
 
 
2011.12.17
 
     HOLOGRAPHY
 
 音は一つでなく 色は一つでなく
 空間は広がって 時間はとどまらない
 
 音と光の波は 原初の記憶を形づくり
 手を伸ばしても 触れることすらできない
 
 私はその形のままの言葉を描きたい
 私の記憶の形 そのままの言葉を描きたい
 

2011.12.18 三十数年ぶりにセガンティーニの絵を観た。20代で出逢ったセガンティーニは、当時、三島由紀夫から伊東静雄へと辿って知り得た画家の名であり、作品だった。長い間、大原美術館を訪ねた際の若い思い入れ、感傷の記憶だけが残っていた。今、60歳で観るセガンティーニ・・・その絵筆の跡、絵の具の輝きは生々しく、初めてセガンティーニという画家その人に出逢った気がした。質素な便箋に書かれたつつましい文面を覗き込みながら、その短命を痛ましくも感じた。小さな印刷画として展示されたアルプス三部作「生」の前で、ジョルジョーネの「テンペスタ」についても思い出した。400年の時差がありながら、二人の画家は、樹木の根元に休む母子像を描いている。空と大地を背景に木陰に安らう新しい聖母子像にも思える。そして、「テンペスタ」の雷鳴の空はミレーの「春」の虹の空へとつながっていく。唐突に、私は思う。時代も風土も文化も異なる彼らの絵の中に、現代の日本に生まれた私は、果たして何を観ようとしているのだろうかと。また、ヨーロッパと同じ400年の時間のなかで、日本に生きた絵師・画人が個人として描くべきものがあったとするなら、それは何だったのかと。
 
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                                            セガンティ-ニ「生」アルプス三部作 1896-1899
 
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                                    ジョルジョーネ「テンペスタ」1507
 
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