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私の第三十四夜をつづります。

さびしいけれど。


2011年3月から8年間、”YAHOO!ブログ”のぺージに、とりとめのない日々の思いを書き続けた。
自分の人生の果てが迫ったように感じ、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで始めたのだった。

2019年12月15日の今日、その場所が消える。
友だちに二度と会えなくなってしまうようなさびしさ。

こんな時…何を聴こうか…。それとも何を読もうか…。

 

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         師走の人魚姫:
         平塚駅南口の人魚姫は、いつも生命力にあふれ、
         力強い。悲しそうでもない。さびしそうでもない。

 

 

 

望月は欠けてゆくもの。

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12月12日の月


12日の夜。
月が中空にさしかかる頃、ベランダに出てみる。昼間の暖かな陽射しの名残りがあった。

流れる雲のなかで浮き沈みするその月は、満月と見えて、すでに欠けはじめている月なのかもしれなかった。

一千年前、藤原道長が「望月のかけたることのなしと思へば…」と詠んだ月も、思えば、その瞬間から欠けていたのだろう。そして、彼はそのことを知っていたのだとも思う。

『定家八代抄』には、道長(法成寺入道摂政太政大臣)の歌が三首採られている。

1480 かぞへしる 人なかりせば 奥山の 谷の松とや 年を積ままし

1492 谷の戸を 閉ぢや果てつる 鶯の 待つに音せで 春の暮れぬる

1589 唐衣 花の袂に 脱ぎかへよ 我こそ春の 色はたちけれ

 

道長の時代から一千年。
2019年の私が思い起こす現政権の来し方…。
憲政史上最長と言われる現政権は?と見れば、我が世の春の八重桜を詠むばかりだった。

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2013                  【アベノミクス特定秘密保護法】    
2014                  【消費税率8%】
2014                  【武器輸出禁止三原則から防衛装備移転三原則へ】 

2014 「給料の 上がりし春は 八重桜」

2015 「賃上げの 花が舞い散る 春の風」

2015                  【安全保障関連法】          
2016                  【自衛隊日報隠蔽問題】       
2017                  【森友学園問題】           

2017 「風雪に 耐えて5年の 八重桜」

2017                  【加計学園問題】

2018 「葉桜の にぎわいありて 杯重ね」

2018                  【辺野古埋立土砂投入】     
2019                  【厚労省「毎月勤労統計」不正問題】    

2019 「平成を 名残惜しむか 八重桜」
2019 「新しき 御代寿ぎて 八重桜」

2019                  【「表現の不自由展・その後」問題】
2019                  【消費税10%】
2019                  【「桜を見る会」問題】
2020 ………………………………………

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富雄丸山古墳で②

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「斜縁神獣鏡」の破片

 

富雄丸山古墳の現場から部屋に戻ると、サプライズのプレゼントが待っていた。

つい最近の出土遺物「斜縁神獣鏡」の破片が、用意されていたのだった。参加者たちは間近でその貴重な遺物を見ることになった。

「斜縁神獣鏡」のその破片は極々薄く、つまめばパリッと割れてしまいそうだった。それでいて、”乳”という突起部分は、現代の光のなかで”普通に”輝き、存在感を主張している。ニュースで知ったばかりの出土遺物が眼の前で”確かな存在感をもって”光っている。再び、すごすぎると思った。

 

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こうして、私の発掘体験は終わった。
発掘成果は過大な期待に反してはなはだ乏しいものだったけれど、「富雄丸山古墳」を知ったこと、その発掘体験に参加できたことは、期待以上の大収穫となった。

バス停に戻り、再び「富雄丸山古墳」の山を見納める。
そして、発掘調査が終わったあとも、その姿を大きく変えることなく、時間を超えた存在のままに、この富雄の地に残り続けてほしいと願った。

  
:『奈良新聞』(2019.11.29)によれば、「斜縁神獣鏡は3世紀ごろに中国北東部から朝鮮半島北部の地域で製作されたと推定。国内で45面確認されているが、円墳では金比羅山古墳(京都府)など数例で珍しい。今月初めの発掘調査体験会で参加者の男性が発見。」とされている。

 

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富雄丸山古墳で①

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12月5日の富士山(新幹線車内から)

5日、晩秋の奈良に向かった。
その日の午後、「富雄丸山古墳」の発掘体験に参加するために。

遺跡の発掘体験という”夢”…40代半ばから考古学を学ぶようになってから、できれば一度経験してみたいと思っていた。
その夢が、この年齢になって、奈良という”場”でかなうとは。
しかも、日本最大の円墳の主体部を発掘するのだ。すごすぎると思った。
一方で、全くの素人の私が、貴重な遺跡を掘ったりしてよいものか?…とも思った。

新幹線から近鉄に乗り換え、京都から奈良へ。
そして「学園前駅」からバスに乗り、「若草中央」停留所で降りると、すぐ目の前に「富雄丸山古墳」の山があった。古墳の山は黄葉した木々に覆われ、古墳の姿そのものはバス道路からは見て取れない。

:直径109mの造出し付円墳。4世紀後半。

 

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    バス停から見る富雄丸山古墳の山(丸山第1号緑地内)

 

まず、古墳に隣接した施設内で、調査の担当者の方から事前説明を受けた。
部屋には「富雄丸山古墳」の「航空レーザ測量による赤色立体地図」が掲げられていた。
発掘体験の出土遺物も眼の前にあった(みんな、手ごたえのある資料を発掘しているのだった)。

    

    「航空レーザ測量による赤色立体地図」  

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    これまでの発掘体験で出土した遺物

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円筒埴輪‐口縁部‐片の断面                    蓋形埴輪‐笠部‐片の断面

         

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さぁ、いよいよ、発掘調査だ。
長靴を借り、軍手をはめ、いざ発掘現場へ…いやがうえにも期待がふくらむ。
『私はどんな遺物を見つけることができるのだろう?』

 

富雄丸山古墳の発掘調査現場:”造り出し”部分から墳頂(主体部)を望む

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斜面から流れ込んだ葺石(造り出しの上の段)f:id:vgeruda:20191210194919j:plain

”造り出し”の縁に並ぶ円筒埴輪列(地中の残存部):
写真中央から右のほうへと並んでいる。
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 富雄丸山古墳から見る若草山:古墳は、若草山から南西約10kmほどに位置している。

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薄曇りの空のもと、1m四方の担当ブロックにしゃがみ込み、”ガリ”を握り、削り取った土をザルでふるって”手箕”に落としたあと、ザルに残ったものを素早くチェックする。

しかし、手元のザルに残ったものは、鏡片でもなく、鉄器でもなく、銅器でもなく、石製品でもなく、埴輪片でもなく…。

何度も何度も、”手箕”とザルに溜まった土塊や小石や木の根っこを土嚢袋に流し入れる。
一方、遺物を入れる”タマネギ袋”には何も溜まってゆかない。

 

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    発掘体験で作業を担当したブロック

 

それでも、最後まであきらめないぞ、と思った。
長方形の綺麗な石片を見つけ、一瞬、『石製品?』と喜ぶ。しかし、すぐに判定が下った。
「加工痕が無いので…石ですね…孔などが開いていれば良いのだけれど…」

小1時間、夢中で掘り続けた。参加者のなかには、鉄鏃や刀子などの鉄製品を発掘した人もいたけれど、私の成果は小さな土器片一つだった。

 

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   出土した石ころ(左)と土器片(右):どちらも3~4cmほどの大きさ。

 

 

 

 

上野~みなとみらい

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都美術館で

               
師走に入った。
1日朝、ようやく上野に出かけることができた。

師走の上野公園…桜並木の紅葉はすでに散っていたけれど、のびのびと大きく育った木々の黄葉・紅葉が青空に映えていた。

久しぶりの都美術館に着く。
門の前には、寒そうな背中を見せて、数人の人々が開門を待っていた。
(『まさか…まだ開いていない?』
 開館時刻を調べずに出かけたのは私だけに違いなかった。)

電車内で読んでいた本を取り出す。そして、手袋をしてくるべきだった…と思う。
(その本…『古代韓半島倭国』〔山本孝文 中公叢書 2018年〕は、考古学の研究成果を慎重に扱う著者の姿勢に惹かれた。全く知識の無い古代韓半島の歴史について、覚束ない私の脳味噌も随所で反応する。新たな視点を学ぶことの喜びに導かれて、最後まで読み通せる本だった…それが嬉しい。)

ようやく開門の時刻。
(都美術館の職員の方が、寒空で開門を待っている私たちにねぎらいの言葉をかけてくれる。)

展示室は壁が広々と見えるほど、混み合うこともなく、落ち着いて作品たちと向かい合うことができた。そして、これらの絵画・彫刻の数々が一人の個人の力で集められたことに感嘆した(できることならコートールド美術館そのものを訪ねてみたい…そう思った)。

 

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セザンヌの絵葉書(『アヌシー湖』1896年):
アヌシー湖は氷河湖で、有数の透明度なのだという。セザンヌが描く”水辺”を初めて観たように思った。

美術館を出る。

公園は休日を楽しむ人々でにぎやかに、そして温かそうに変わっていた。
早起きしたご褒美で、まだ一日の半分なのだった。
上野駅から横浜に向かった。

みなとみらいの公園でも師走の空を見上げた。
『青いなぁ…』

ひとしきり、お父さんお母さんと遊んでいた小さな子が、「今日のお散歩、楽しかったねぇ!』と大きな声で話しかけながら帰ってゆく。

こうして、2019年の師走はいつになくゆったりと始まった。

 

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みなとみらいの公園で

 

 

明日からもう師走…

 

11月30日。
「明日からもう師走…」
今日、友人からもらったメールのなかにそう書かれていた。ドキッとする。

毎年、12月ともなると、『ぐうたらな一年を過ごしてしまった自分』にがっかりし、落ち込む。
今年も、『毎年ぐうたらなままの自分』にがっかりするのだ。
諦め…居直り…どうあがいても、この先、変わるはずのない自分を認めてしまえばよいのに。

夕方、海に出かける。日没に間に合うか、ぎりぎりの時間だった。
浜辺に近づくと、海から帰ってくる人々とすれ違った。『遅かった』と思う。

やはり、西の空に夕日の姿はなく、箱根の暗い稜線が、オレンジ色の空を鮮やかに切り抜いていた。
富士山はくっきりと、大島はやわらかに、いつもの場所に在った。
水色を残した空には、細い細い月がポツンと浮かんでいる。

『ぐうたらなままなんだろうな、来年も…』

見上げたお月様はあまりに遠く細く、私のつぶやきが届きそうになかった。

 

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11月30日の海①

 

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11月30日の海②

 

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         11月30日の月

 

 

夜の湯畑で出会ったのは?

 

25日、友人たちと草津温泉に出かけた。

朝の電車から眺めた空はやや曇りがちだった。
それでも、群馬県に入ると、青く明るい空に落ち着いた。陽射しも十分に温かい。旅日和の空…それだけで心が浮き立った。

久しぶりに会う友人の車にそれぞれの荷物を載せる。心はすでに遥かな草津へと飛んでゆくようだった。

裾野の広い赤城や榛名の山容、晩秋を感じさせる黄葉・紅葉…。
車の窓から眺める景色は、日頃、こじんまりとした風景を見慣れた眼には、異国の自然を見るように、広々と大きく新鮮に映った。

車は、渋川から吾妻川沿いを走り、試験湛水中の”八ッ場ダム”を経て、いよいよ草津温泉へと北上してゆく。

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八ッ場ダムの秋景色

 

お昼頃に到着した草津温泉の空気は一段と冷たかった。標高1156m…その高さ・さわやかさは、温泉の豊かさ・熱さと拮抗する魅力なのだろうと思った。

初めて眼にする湯畑からは白い煙がもうもうとあがり、七本の木の湯樋から集まった湯は、滝のように走り落ちてゆく。
あたりいっぱい、逃れようのない強い硫黄の匂いに包まれると、『これが草津温泉…』と納得するしかなかった。

夜になった。宿の温泉と夕食であたたまった私たちは、楽しみにしていた”ツリー”を観るために、再び湯畑に向かった。

ライトアップされた”ツリー”は、赤い花が光り輝やき、昼間よりさらに存在感を増している。”ツリー”を背にした湯畑のまわりには多くの人々が集まり、華やいだ空間に変わっていた。

 

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夜の湯畑で輝くツリー


私たちは、それぞれのカメラで、交替しながら”ツリー”や友人の姿を撮りあった(みな揃っての写真はなかなか撮れないのは、これまでの旅と同じだった。)

その時、仄暗い歩道から、白い上下の服に白い小さな帽子(たぶん?)をかぶった髪の長い若い女性から声をかけられた。
「写真を撮りましょうか?」
(私たちは、都会の一角のように人波の絶えないところで、都会の人波から抜け出てきたような女性に声をかけられたことに、少し驚き、そして喜んだ。)

私たちは素早くカメラの前に並ぶ。女性は、位置を変えて何枚もシャッターを切る。
そして、私たちが最後に改めてお礼を言うと、女性は「どうぞ楽しい夜を!」と返してくれた。

その後も、私たちはゆっくりと湯畑を廻り、女性の言葉どおり、楽しい時間を過ごすことができた。
『それにしても…』と私たちはみな思った。『物語のように顕れたあの女性はいったい誰だったのか…?』と。

 

帰宅してから、草津で手にしたパンフレットをパラパラと見返していて、『もしや?』と思った。
そのパンフレットの巻頭に、「温泉女神」として活躍する若い女性が紹介されていたのだ。

『夜の湯畑で出会ったのは貴女なのでしょうか?』
(私は、人の顔を覚えるのが苦手だ。今回も本当にぼんやりとしたイメージしか思い浮かばない。)

パンフレット上の「温泉女神」の女性は微笑むばかりで、その答えは返ってこなかった。

『声をかけてくださってありがとう!』
なつかしい気持ちで、夜の湯畑の”女神様”にもう一度お礼を言った。
そして、友人たちが、あの女性の顔を覚えていたら良いのだけれどと思った。