enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2013.2.5

 昨日の朝、起き抜けにTVニュースで團十郎が亡くなったと知った。あぁ…と心がしぼんだ気がした。
 私にとっての歌舞伎とは、1970年代の海老蔵玉三郎だ。私にも、海老蔵玉三郎の『鳴神』、玉三郎と孝夫の『桜姫東文章』などに魅入られた時期があったのだ。そして、学生時代には、臆面もなく歌舞伎の脚本をテキストとするゼミに入っていたことを思い出した。不思議だ。そのようなゼミに入った理由…今考えつくのは、三島由紀夫がらみの目的だ。
 そのゼミの雰囲気は門外漢の私には独特なものだった。他校からいらした浦山政雄先生という、女形の声色の上手な洒脱な先生。居並ぶ大人びた女学生たち。なかでも、長く豊かな黒髪のひとは、きっぱりとした物言いをして、ひときわ印象的だった。あとから直木賞作家の娘さんだと知った。
 私を除けば、みな歌舞伎に造詣の深い学生ばかりだったのだと思う。場違いを強く意識した私だったけれど、伊豆高原で開かれた”ゼミの合宿”にも参加した。夕食後、先生と最後まで日本酒をお付き合いして一升瓶を空け、翌朝別荘の裏庭で強烈な二日酔いの洗礼を受けた。そして、散策した城ヶ崎海岸で、一人よれよれの気分で吊り橋を渡った思い出(ゼミで学んだことは全て忘れ、鮮やかに覚えているのはそれだけというのは…)。
 歌舞伎の魅力に夢中になり、歌舞伎座の立ち見席で息をのんで舞台を見守っていた時代があった。私と同じ時代の空気のなかを歩んできた人たちが、これからも次々と去ってゆくのだろう。夜になって、友人から「本当に悲しいことです。歌舞伎への情熱までもが冷めてしまいそう」とメールが届いた。返事を書きながら、いつか、新しい歌舞伎座に一緒に出掛けてみようと思った。團十郎の不在感を確かめるためではなく、歌舞伎の生命力を感じるために。