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私の第三十四夜をつづります。

”貼れパネ”からの解放?

 

14日、久しぶりに友人と待ち合わせをして博物館に出かけた。
特別展『神奈川の大地‐1億年の記憶‐』を観たあとに、講堂で担当学芸員による解説を聴く…長く不安なコロナ禍の日常から、ようやく抜け出しつつあるような…そんな時間になった。

といっても、慣れ親しんだ地域の自然に興味はありながら、その分野の素養が皆無の私には、かなり難解な展示内容だった。
それでも、先生の「今日の解説では、”二つの付加体”…これだけでも覚えていってもらえれば…」という”励まし?”を頼りに、「現代的な視点による神奈川県地質史の構築」という意欲的な取り組みの一端に触れることができた。
(結局、私の脳味噌では理解が難しかったけれど、”小仏層”や”四万十層群”などの用語や、美しく珍しい展示物の数々が印象に残った。もう一度、博物館に出かけて、自分なりにおさらいしたいと思っている)。

一方で、こうした特別展の内容とは全く関係の無いところで、ひどく関心を抱いたのが(たぶん、私だけ…)その展示方法だった。
今回、展示されている艶やかな印刷物が、昔のように貼れパネを使って掲示されていなかったことに驚いたのだ。それらは、ごく自然にシンプルな姿で展示されていた(いつ頃から、こんなスッキリとした形で展示されるようになっていたのか…)。


かつては、こうした展示作業のたびに、膨大な量の貼れパネが消費されること(また、切り取られて余った貼れパネが無駄に廃棄されること)にいつもモヤモヤしていた。
しかし、今回のように、印刷紙を壁やボード上に直接に貼るならば、作業量も廃棄物量も大きく減量化されているはず…と驚いたのだ(何よりも、貼れパネの抵抗を受けたカッターの刃によって手指を怪我する怖れも無いし、貼り位置や皺寄りの失敗からも解放される! もちろん、厚みや重さが必要な展示物などについて、貼れパネの需要は失われないだろうけれど)。

時代が、人とともに変わっているんだなと、私にとって、そんなことにも励まされた特別展だった。

 

【追記】
前日、海に出かけた。
波消しブロック内の波打ち際を歩いた限りでは、「福徳岡ノ場」から流れついたような軽石はどこにも見当たらなかった。

 

【13日の浜辺で】

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