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私の第三十四夜をつづります。

2021年春の桜たち。

 

24日、友人が春の花束を届けてくれた。
畑で剪定されたばかりの枝々には、それぞれ、桜、桃、アーモンドの花の蕾がピンク色に生っていて、少し痛々しい、初々しい花束だった。


花曇りの25日、その友人と博物館前で待ち合わせ、お花見の散歩に出かけた。

総合公園の桜たちはちょうど見頃を迎えていた。

すでにハラハラと散り始めている大きな桜の樹の下で、少女が、お母さんに何枚も写真を撮ってもらっていた。少女は今春、学校にあがるのだろうか…マスクの無いその笑顔は、満開の桜にお祝いされているのだった。 

公園には、まばらとは言えない人々の姿があったのに、どこも不思議に静かだった。
桜山に一人で座り、お酒(たぶん?)の缶を開けて、お気に入り(たぶん?)の桜のあでやかな姿を見上げる人。

しっかりと手を握り合いながら、そろそろと歩むご夫婦。

私たちも、桜たちがひっそりと咲き籠る空の下を、ゆっくり、ゆっくりと歩いた。

来年の春も、桜たちはこんなにひっそりと咲くのだろうか。

来年の世界が遠く思われたのは、薄曇りの空のせいなのかもしれなかった。

 

帰り道、図書館に寄って『動物農場』を借りて帰る。
学生時代、フィリップ・ロスの『さよならコロンバス』を教材に選んだ英語の先生は、授業の中でジョージ・オーウェルについても、なぜか熱心に語っていたのだった。

当時、不勉強だった私は、その作品を読むことはなかった。それが、半世紀経ってようやく、その印象的なタイトルの小説を手に取ることになった(1970年頃、あの英語の先生は、ジョージ・オーウェルの作品について、私たち学生に何を語りたかったのだろうか)。

 

 

f:id:vgeruda:20210326103736j:plain 友人の畑で選定された枝

 

f:id:vgeruda:20210326103938j:plain博物館の桜:
”胴咲き桜”と呼ばれ、梅にも見られるものらしい。
「まだ若い時期に休眠芽としてつくられた葉芽や花芽が潜伏芽として残ってしまい、年をへて、何かの刺激で目覚めた」(一般社団法人日本植物生理学会:みんなのひろば 植物Q&A)を読み、”何かの刺激で目覚めた”の言葉に、ちょっとときめいてしまった。

 

f:id:vgeruda:20210326104017j:plain総合公園の桜①

 

f:id:vgeruda:20210326104055j:plain総合公園の桜②

 

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選定された枝から落ちてしまった蕾:
桃の花? 五弁の花びらの内側に小さな花弁が三つ。
旗弁ではなく、八重咲きなのだろうか?