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私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言11 月のひかり

 『相模集』の「権現の御かへり」と『能因法師集』の歌を眺めていて、”月のひかり”の言葉を含むものが目に留まった。
 「権現の御かへり」の歌は、相模の歌に対応する返歌という制約がありながら、独自に”月のひかり”の言葉を用いていること、また能因の歌の場合は、”月のひかり”という言葉が、現代とほとんど変わらないニュアンスでストレートに用いられている(ように感じられる)ことに興味をひかれた。
 
能因法師集』から
  6   虫の音も 月のひかりも 風のおとも わが恋ますは 秋にぞ有りける
『相模集』から(「権現の御かへり」とされる歌)  
 360   くもりなき 月のひかりを嘆くには 思ひぐまなき ものにぞありける
(相模の奉納歌である 「261  いづくにか 思ふことをもしのぶべき くまなく見ゆる 秋の夜の月 」に対する返歌)      
 
 一方、『相模集』で大江公資の作とされる歌には「有明の月」、「三日月」を詠んだものはあるが、彼の歌に(そのすべてを知るものではないが)、おそらく”月のひかり”の言葉を用いた歌は無いのではないか…そんな気がするのはなぜだろう。やはり、”月”を詠む人、”月の影”を詠む人はいても、”月のひかり”の言葉を遣う歌人はそれほど多くはないように感じるからだ。
 
 そして不思議なことに、私が『能因法師集』の歌を知るなかで、強く心ひかれた歌は、大江公資に係るものだった。そして、そこにも”月のひかり”の言葉があった。
 
   故公資朝臣の旧宅に一宿、月夜詠之
 218   ぬしなくて あれたる宿の そともには 月のひかりぞ ひとり すみける