『相模集』の「権現の御かへり」と『能因法師集』の歌を眺めていて、”月のひかり”の言葉を含むものが目に留まった。
「権現の御かへり」の歌は、相模の歌に対応する返歌という制約がありながら、独自に”月のひかり”の言葉を用いていること、また能因の歌の場合は、”月のひかり”という言葉が、現代とほとんど変わらないニュアンスでストレートに用いられている(ように感じられる)ことに興味をひかれた。
『能因法師集』から
6 虫の音も 月のひかりも 風のおとも わが恋ますは 秋にぞ有りける
『相模集』から(「権現の御かへり」とされる歌)
360 くもりなき 月のひかりを嘆くには 思ひぐまなき ものにぞありける
(相模の奉納歌である 「261 いづくにか 思ふことをもしのぶべき くまなく見ゆる 秋の夜の月 」に対する返歌)
一方、『相模集』で大江公資の作とされる歌には「有明の月」、「三日月」を詠んだものはあるが、彼の歌に(そのすべてを知るものではないが)、おそらく”月のひかり”の言葉を用いた歌は無いのではないか…そんな気がするのはなぜだろう。やはり、”月”を詠む人、”月の影”を詠む人はいても、”月のひかり”の言葉を遣う歌人はそれほど多くはないように感じるからだ。
そして不思議なことに、私が『能因法師集』の歌を知るなかで、強く心ひかれた歌は、大江公資に係るものだった。そして、そこにも”月のひかり”の言葉があった。
故公資朝臣の旧宅に一宿、月夜詠之
218 ぬしなくて あれたる宿の そともには 月のひかりぞ ひとり すみける