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私の第三十四夜をつづります。

走湯参詣ルート9 ~道草④~

 道草の③で、『相模集全釈』からの引用として、最も重要な歌を書き落としていた。
 
 522  走る湯に ゆきかよひにし みづぐきは 神の心は ゆかざらめやは  (相模)
 
 思えば、522の歌があるからこそ、歌人相模は”筥根”権現ではなく、走湯権現に参詣した、と確信できたのだ。
 参詣ルート探索の出発点となる歌を忘れて、昨日、箱根権現参詣の解釈に動揺し、わざわざ道草した自分が情けない。こうした失念や錯誤が多くなっている。これからも、歌人相模の道に迷い続けるのだろう。先が思いやられる。
 
追記:奉納百首の詞書について
<詞書の冒頭部分より>
「常よりも思ふ事あるをり、心にもあらで東路へ下りしに、かかるついでにゆかしき所見むとて、三とせといふ年の正月、走湯に詣でて、なに事もえ申しつくすまじうおぼえしかば・・・」(『相模集全釈』より)
 『相模集全釈』では、この詞書の「走湯」の右行間に小さく「筥根」と併記されている。また、『走湯」の【異同】として、内閣文庫本と書陵部B本では「はこね」であることが示されている。
 素人の読み手の私は、2012年5月31日の時点で、この「筥根」・「はこね」の文字をどう考えればよいのか惑ったのだった。なので、この詞書から、「歌人相模は箱根権現に参詣した」という、もう一つの解釈が生まれた可能性があるのかもしれない。