久しぶりに集まった友人たちと富岡の町を歩く。町並みからも、世界遺産登録決定の一報を待ち望む思いが伝わってくる。
富岡製糸場を訪れる見学者は、ひきもきらない。次から次へ、ガイドツァーが繰り出される。じきに、私たちの見学も始まった。
その木骨煉瓦造の外観も、繰糸場内部の可視的な”産業革命現場”も、明治という時代の空気感を身近に感じさせてくれるものだった。近代遺産だからこそ、遺し続けることは、いよいよ難しいことだったろう。ガイドツァ-の解説からも、郷土の近代遺産を守ってきた人々の強い意思が感じとれる。
ブリュナ館の前庭からは、蛇行する鏑川を眼下に望むことができた。こんなに標高の高いところにあったのか…と思う。川を隔てて、6月の薄曇りの空に青い稜線が連なる。
製糸場から、さらに高山社跡に向かう。車で寂しい山道を走り、少し頼りない気持ちになりかけながらも辿りつくことができた。すでに4時半を過ぎ、もう見学はできないけれど・・・と、静かな流れ伝いに歩いてゆく。
かねてから、その移り変わりのようすを知人から聞いていた「高山社跡」。
想像していたのは、細い山道の奥の鬱蒼とした空間だった。そのイメージとは異なって、眼の前には、清らかなせせらぎと静かな山並み。この環境が蚕の生育に適したのだろう、と実感できた。
「高山社跡」の閉館時間はとうに過ぎていたのに、門前に詰めていた教育委員会の方が、詳細に解説をしてくださった。長屋門のなかで、高山長五郎という指導者の「国利民福」の思想について、初めて知る。明治時代の殖産興業政策を担った絹産業。その基盤をなしたこの場所には「国利民福」の高い思想があったのだ。
富岡製糸場でエサを待つ子ツバメたち
「高山社跡」の合歓の花