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私の第三十四夜をつづります。

相模集-由無言19 とらわれない歌人 曾禰好忠

 『相模と「六人党」』(高重久美 文学史研究 2001)のなかで、歌人相模が学んだ形跡のある歌人として、「曾禰好忠」の名があがっていた。子どもの頃、「”ゆら‐ゆく”の歌」と覚えた百人一首歌人だ。名前のほかは何も知らない。
 今日、図書館の『国歌大観』で、その歌集を拾い読みしていた。”田子”や”早苗”や”裳裾”などの歌語を詠み込んだ歌があるか、探すために。
 読みはじめて、驚いた。これが10世紀の和歌なのだろうか・・・。
 あまりに自由なのではないか。
 時代の気配はどこに行ってしまったのか。
(漠然と浮かぶのは、近世の俳人や近代の詩人の気配だろうか。)
 歌人相模は、この曾禰好忠の歌の数々をどのように受けとめたのだろう。何を学んだのだろう。まだ、何も分からないけれど、曾禰好忠という歌人は、とにかく誰とも違う歌を詠んでいる・・・そんなふうに感じた。
 
  今日、眼にした百番前後の歌のなかから4首。
    
     四月をはり
119 ひくるれば したばこぐらき このもとの ものおそろしき なつのゆふぐれ
121 なつかしく てにはをらねど やまがつの かきねのむばら はなさきにけり
     五月中
136 わがまきし あさをのたねを けふみれば ちえにわかれて 影ぞすずしき
139 のどかにて すずしかりけり なつのひも おもひあつかふ こともなき身は