相模国府周辺から出土した緑釉陶器の時期と産地について、平尾政幸・尾野善裕両氏は『湘南新道関連遺跡Ⅱ』(㈶かながわ考古学財団 2009)のなかで、次のように書かれている。
「以上、出土傾向を概観した結果、相模国府周辺での緑釉陶器の出土の初限(原文ママ)は山城系の製品を主体とする9世紀の第2四半期に求められ、9世紀第3四半期後半から第4四半期には猿投窯の製品を主とする東海系の製品が多量に搬入されていることが明らかになった。また量的に多数を占める猿投窯の製品のなかにはヘラ磨きなどの調整や釉調の優れたものが多く含まれていることも当遺跡出土緑釉陶器の特徴と言えるだろう。」
この報告書の分析に一層の刺激を受けて、9世紀代の相模国司(嵯峨源氏・仁明源氏や滋野氏・橘氏)や大住郡・高座郡大領の人事、大住郡や高座郡・愛甲郡での冷然院・淳和院勅旨田の設定などについて、さらにもう一歩前進できないかと、さまざま考えをめぐらしてきた。しかし、今も何一つ具体的な答えを見つけることはできない。依然として、9世紀後半の猿投産緑釉陶器は、どのようなシステムで相模国府や東国一帯に流通したのか、という疑問は投げかけられたままだ。
一方、そうした疑問に対し、すでに『湘南新道関連遺跡Ⅱ』で提示されているのが、”淳和院の家政機関”が、尾張産緑釉陶器の生産と流通に関与していたのではないか、という仮説だ。
そこで、この仮説をもとに、9世紀第3四半期後半~第4四半期の嵯峨源氏の氏長者を推定してみることにした。この時期の公卿補任のなかで、嵯峨源氏・仁明源氏の有力者と相模国司との関連を雑駁に時系列で示すと次のようになる。【太字は相模守・権守となった嵯峨源氏・仁明源氏、赤字は仁明源氏、青字は9世紀第3四半期後半~第4四半期の時期】
843年 参議:源 弘(848年中納言 859年大納言→863年)
854年 参議:源 多(870年中納言 872年大納言 882年右大臣→888年)
864年 参議:源 生(→872年) 註:867年相模守
870年 参議:源 勤(→881年) 註:源 融の同母弟、859年相模守
875年 参議:源 舒(→881年) 註:父・源 明、母・橘氏公の娘
882年 参議:源 冷(→890年) 註:868年権相模守、877年相模守
886年 参議:源 直(→899年)
893年 参議:源湛(908年中納言 913年大納言→914年) 註:源 融の子
895年 参議:源 希(899年中納言→902年)
参議:源 昇(908年中納言 914年大納言→918年) 註:源 融の子
以上の系譜を眺める限りでは、9世紀後半における相模国府周辺の緑釉陶器出土様相に影響力を持つ可能性がある公卿として、源 融、源 光の二人の名前が浮かび上がるように思う。
それを実証するような考古学的な材料が見つかるまで、正しい答えは出ないのだろう。今後、全国各地の官衙遺跡出土の緑釉陶器集成がまとまること、そこからまた新しい視点が生まれることを期待するばかりだ。