enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2014.11.7

 昨日、東京の友人と一年ぶりに逢った。美しくて美味しい食事も久しぶりだった。しかも、いつもの頭痛も出てきそうになかった。日が暮れるまで、時間も残っている。こんな機会はそうない…友人に地下鉄の駅を教えてもらって、「チューリヒ美術館展」へと向かった。
 2011年12月、新宿でセガンティーニを観てから3年近くが経っていた。またセガンティーニの絵が日本に来ている。初めての美術館の大きさにマゴマゴしながら展示室に入る。すると、そのままもう、「セガンティーニ」の作品の前に立っていた。平日で雨も降りはじめた夕暮れ時、見学する人も少ない。並んだ二つの絵を気がねなく観ることができた。
 向かって右手の作品は水底のように青く暗い。影が描かれているので、光は上方からさしているようだ。いったいここはどこなのだろう。
 左手の作品は、乾いた白い光を吸い込むような位置に、やはり青く暗い水辺が描かれている。
 左手の水辺に入ってゆくと、右手の水底につながるようにも思えてくる。
(頭の中で、左手の絵の水辺の下に、右手の絵を配置してみる…二つの作品を上下に展示するのだ。私には、二つの作品が一体化した世界が見えたように感じられた。)
 二つの作品の年代は右手《淫蕩な女たちへの懲罰.》が1896/97年、左手《虚栄(ヴァニタス)》が1897年。この連作のような二つの作品の流れは、セガンティーニ最晩年のアルプス三部作へとつながっているのだろう。
 生と死。光と影。セガンティーニに初めて出逢った時は、私は生と光だけを観ていた。虚無的なほどに眩しい白い光の世界に惹かれた。そして、彼の作品に死と影の流れがあることをまだ知らなかった。
 3年ぶりに観ることができたセガンティーニの二つの作品には、痛切なほどに寂しい青昏い光がさしこんでいた。
 
チューリヒ展」で、やはり青昏い作品が印象に残った。ムンク「冬の夜」。展示室の出口で絵葉書を何枚か買い求めると、1枚のシールをもらった。偶然、「冬の夜」のシールだった。漂うような白い光、ほのかに薔薇色がさした白い光は雪のようでもあり、画家の心象のさまよいのようでもあった。
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