enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.4.5

 夕方の買い物から帰り、非常階段をのぼりながら足元を見ると、黄葉した落ち葉に気がついた。しかし、それは落ち葉ではなく、階段隅に潜む蛾の姿だった。
 明日の朝、管理人さんは見逃してくれるだろうか。今晩のうちに場所替えすると良いのだけれど。覗き込むと、身体は翅に似合わず、まるまると太っていた。

イメージ 1
 
 花曇りの休日に何かあふれるもの
 街行くひとびとからは 明るいような 哀しいような 小さな怒りのようなもの があふれでる
 そのようにあふれたものが 雲になって 花色を濃く見せる
 花はあふれ 散って やがて 緑があふれていく
 何かあふれる花下道を わたしも何かあふれながら 歩く

  ~後葉和歌集 巻第三 から~ 
  花ちると なげきし程に 山里の やがてこぐらく 成りにけるかな

【補記】『国歌大観』を眺めた時、早とちりで能因法師の歌?と思い込んだが、別のテキストでは懐圓法師の歌となっていた。
(『後拾遺和歌集』の能因の歌
 「わがやどの こずゑの夏に なるときは いこまの山ぞ みえずなりぬる」は似た視線だ。)