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私の第三十四夜をつづります。

小筥根の郷、桑原(1)

 16日、箱根南西麓の函南町に出かけた。平安時代中期の木造薬師如来坐像鎌倉時代初期の木造阿弥陀如来坐像を拝観するために。そして、平安時代の筥荷途とも係りそうな万巻上人ゆかりの桑原の郷を歩き、来光川をこの目で確かめるために。
 朝の函南駅に着くと、そこは春の山々に囲まれていた。何となく不思議な印象を受ける。初めて降りる駅だからというより、おそらく、その高さのためだ。地形図を見ると、冷川と桑原川(来光川)に刻まれた丘陵の南端、標高70mほどのところに函南駅が位置している。東海道線と新幹線は、不揃いな縫い目のようなトンネルで函南町を横断していた。現代の官道の走り方…。
 冷川と桑原川(来光川)の合流点から大土肥にかけて、谷幅が広がる。来光川右岸には「新幹線」という珍しい地名が記載されていた(一瞬、地形図のミスかと思う。いやいや斬新な歴史地名なのだ。たぶん)。
 駅から坂を下る。前夜のにわか勉強をたよりに、まず“北条宗時・狩野茂光の墓所”という伝承のある小高い丘にあがってみた。まさに丘陵の尖端部で冷川と桑原川(来光川)の合流点にあたる位置だ。苔むした小さな石塔の背後は塚のようにこんもりしている。傾いた説明板を読む。かつて「時まっつあん」と呼び親しんでいた土地の人々の姿を思い浮かべる。
 地図を眺めながらゆっくり歩く。『あぁ、箱根を越えた麓近くの里を今歩いているんだなぁ』と思う。桑原川(来光川)を渡る橋にさしかかると、近代遺産のような隧道が目に飛び込んできた。煉瓦造りの三つのアーチの上を短い東海道線車両が走ってゆく。カメラは間に合わなかった。
 東海道線の下をくぐり、坂道を春日神社に向かう。社前の大きなクスノキの真横を新幹線が走り抜ける(帰宅後、調べてみると、太い幹のウロに“女神様”が見えるとあった。撮った写真で、なるほどと思う。推定樹齢900年であれば“平安時代の姫君様”かもしれない)。
 坂道を進むにつれて、桑原川(来光川)の瀬音が近くなり、山側の地肌からは水が浸みだしている。それらの水が、はるか高みの分水嶺の存在を意識させた。川側の狭い土地は棚田状に耕され、その対岸にも同じように山が迫っている。
 こうした細々とした谷合いに建てられた平安時代からの仏堂というものを想像してみる。川際の水田上ではあり得ないだろうと思う。やはり山際で、一定程度の広さをもつ安定した場所。まさに、そうした条件にかなう場所に、数多くの古い仏様たちが収蔵・展示されていた。

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北条宗時・狩野茂光の伝承を記す説明版

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東海道線と桑原川(来光川)を通す隧道

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春日神社のクスノキ(大き過ぎて画角に収まらない。道路面に近い根本は巨大な岩盤のようだった。大樹のウロに住まわれているのは…緑のハンモックでくつろぐ“女神様”か。歌を詠む姫君様か。窓辺で読書する人か。)