enonaiehon

私の第三十四夜をつづります。

2015.4.27

 25日、楽しみにしていたオペラを聴きに出かけた。
 8年前に『アンナ・ボレーナ』、『セビリアの理髪師』を、4年前の2011年3月5日に『ルチア』を聴いたきりだった。その6日後に大震災が起きたのだ。
 大震災後、初めてのオペラの席は天井桟敷。予想よりもかなり深い馬蹄形のホールだった。私には馴染みのある視界。舞台の半分は見えない。加えて、檻のような柵も眼の前に連なる。
 隣席の人がつぶやくように言う。「ここは見えにくいですねぇ…」 私も「そうですねぇ…」と答えた。
 何しろ天井桟敷なのだし、落ちるのも落とすのも申し訳ないから、柵も必要なのだ。
 柵こそなかったけれど、大昔、スカラ座天井桟敷で、しかも後列で立って聴いたこともあった。前の観客越しに、やっと歌姫の頭が見えるという視界。聴くしかなかった。スカラ座にいるということだけで幸せだった。
 4年ぶりのオペラも、聴くだけで充分に幸せだった。私にとってのアルフレードは市原多朗さんだったし、CDではパバロッティをよく聴いていた。そして25日の西村悟さんも、「燃える心を」を見事に歌いきっていた。
 帰ってからも、もう一度アルフレードのアリアを聞きたくなった。過去の名テノールたちの声、歌心をパソコンのキー一つで聴き比べることができる時代なのだ。
 デルモナコの「燃える心を」は生真面目で硬質だった。ステファノもドミンゴもみなそれぞれの時点で、個性的な歌いぶりだ。パバロッティもいつもの通り聞き惚れてしまう。
 そして最後に聴いたカレーラスは、一番思い入れたっぷりだった。1973年の公演当時、カレーラスは27歳。最も西村さんの若さに近いように感じた。青年そのもののアルフレードは、甘く情熱的でしかも清潔だ。20代、30代でしか歌うことができないアルフレードがあるのだろうな…と思った。
 ヴィオレッタのアリアにも涙を流した。家族にはいつも笑われるが、それがオペラの魅力の一つのように思う。心が大きく動かされる。それがオペラなのだと思う。自分の心臓が実に生きていることを感じる。それがオペラなのだと思う。